世界文化遺産・姫路城(兵庫県姫路市)には、よく知られた別名がある。白漆喰(しっくい)が施された城の姿をシラサギにたとえ「白鷺城」と称される。では、この別名はどう読むのか。地元には「しらさぎじょう」ではない読み方がある。 漢字表記では読み方は分からないが、英語表記があれば確認できる。世界遺産を認定するユネスコのサイトを見ると「Shirasagi-jo」と記述されている。やはり「しらさぎじょう」が正しいのか。 参考に姫路市のサイトの自動翻訳版で英語表記を確認した。こちらは「hakurojo」と記されていた。観光客が手に取る「姫路ツーリスト ガイド&マップ」の英語版の表記も「Hakuro-jo」になっている。 「白鷺=はくろ」は地元ではよく見かける。城のすぐ近くにある学校は「姫路市立白鷺(はくろ)小中学校」だし、城の西を流れる船場川にかかるのは「白鷺(はくろ)橋」だ。 「はくろじょう」説の根拠としてよく語られるのが、「姫路城史」を著した郷土史家の橋本政次氏(1886~1973)の言葉だ。質問に答える形式で解説する「姫路城の話」には「なぜ白鷺城というか」という項目がある。 1993年に再発行された「姫路城の話」の記述を見てみよう。 本文冒頭で「白鷺城(はくろ… この記事は有料記事です。残り801文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
レインボーブリッジ開通30年 「封鎖できません」はフィクションか
2003年、東京・お台場。 フジテレビで当時、プロデューサーを務めていた亀山千広さん(67)=現・BSフジ社長=の電話が鳴った。 電話口の相手が言う。 「ニュースを見てみろ。レインボーブリッジ、閉鎖してるぞ」 1993年8月26日に開通したレインボーブリッジ。東京・お台場と対岸をつないで30年、さまざまなドラマが生まれました。今回は「踊る大捜査線」の生みの親、亀山千広さんに思い出を聞きました。 「封鎖できません」と青島刑事はぼやいたが 台風による強風で、都心とお… この記事は有料記事です。残り2711文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
足元まで迫った津波、弟を抱いて逃げた 112歳が伝える関東大震災
関東大震災から100年。横浜市のグループホームで暮らす112歳の高嶋フジさんは、関東大震災を震源に近い神奈川県逗子市(旧逗子町)で経験し、今もその記憶を語る。 フジさんは施設内では車いすは使わず、伝い歩きができるほど足腰はしっかりしている。食欲も旺盛で、ストレッチ体操をしたり、年下ばかりの入居者のカラオケを聴いたりしながら過ごすのが日課だ。 相模湾に面した逗子市小坪の商店を営む家に生まれた。7人きょうだいの長女で、震災当時は尋常小学校に通う12歳だった。母は他界し、父やきょうだいたちと暮らしていた。 その日は2学期の始業式。学校から帰り、弟の末吉さん(2)に食事をさせていた。正午前、突然の揺れに襲われた。 このあと、高嶋フジさんのインタビュー動画を含め、100年前の体験談を詳しく紹介しています。 外へ出て雨戸を外し、その上… この記事は有料記事です。残り1686文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
京都の晩夏の風物詩「千灯供養」 化野念仏寺で4年ぶりに開催
2023年8月26日 21時00分 京都の晩夏の伝統行事「千灯(せんとう)供養」が26日、化野(あだしの)念仏寺(京都市右京区)であった。約8千体の石仏や石塔にろうそくをともし、無縁仏を供養した。コロナ禍で2020年から営まれず、開催は4年ぶり。27日もあり、午後5時半から8時半まで受け付ける。 化野はかつて、鳥辺野(とりべの)、蓮台野(れんだいの)と並び、京都の三大風葬地だった。一帯には遺体が葬られ、無縁仏をまつる石仏や石塔が散らばっていた。明治時代、それらを寺に集め、供養したのが千灯供養の始まりという。 この日、原善應(ぜんのう)住職(41)らが地蔵堂の前で読経し、浴衣姿の参拝者らが無縁仏に手を合わせた。行事協力費として1千円が必要。問い合わせは化野念仏寺(075・861・2221)。 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
レインボーブリッジのふもとで「愛してるよ~」 彼氏の言葉に困惑
嫌な予感がしていた。 1年前の夏、大学の同級生からデートに誘われた。待ち合わせは「お台場海浜公園駅」。ビーチにも近く、レインボーブリッジを見渡せる。ベンチもあり、観光客や恋人たちでにぎわう。 犬の散歩をしていたり、夕涼みを楽しんだりする住民も多い。「そこが問題なんですよ」と大学4年生の女性(22)は語る。 女性が家族と住む自宅はお台場だ。 「帰るのも便利でしょ。お台場にも行ってみたかったし」。それが誘った彼氏の言い分。彼氏は山形県出身。コロナ禍でもあり、上京したものの、お台場に来る機会がなかったという。 「相手はデート感覚でいいんです。お台場ってそういう所ですから。でも、こっちとしては散歩しているおじちゃんが知り合いの可能性があるんです。恥ずかしくないですか?」 それでも、彼氏の願いをかなえたいと、お台場デートを実施。ビクビクとまわりを警戒しながら、ビーチを散歩。そして、案の定、恐れていたことが起きたという。 レインボーブリッジが開通して26日で30年。橋のふもとで人間模様を取材しました。 観光地ならでは 彼氏の愛ある行動 「レインボーブリッジがきれ… この記事は有料記事です。残り1234文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
津波を耐えた松の木は現存 見つかった映像フィルム、生かす道は
【動画】関東大震災直後の様子を記録したとみられるフィルムが発見された=矢木隆晴撮影 今回発見されたフィルムには、「伊豆伊東町の大海嘯(だいかいしょう)」というタイトルで、関東大震災による津波の被害を受けたとみられる静岡県旧伊東町(現伊東市)の様子が鮮明に映し出されている。 倒壊した家屋や、大川橋の上に乗り上げた船、がれきを片付ける人々、津波を受けた「十本松」と呼ばれる木も記録されている。 「関東大震災で津波に襲われた十本松のうち、現存する1本です」 伊東市教育委員会の学芸員、金子浩之さんが、海岸近くの旅館の脇にある1本の松の木を前に、そう語った。 震災発生時、近くの製氷所の従業員がとっさに十本松によじ登り、津波の難を逃れた体験談が残っているという。 1923年9月1日午前11時58分、神奈川県西部を震源とするマグニチュード7・9の大地震が発生。金子さんによると、旧伊東町は当時5メートルほどの津波に襲われ、死者・行方不明者が約80人、流失の約360戸を含め1千戸以上が被災した。 金子さんの案内で、当時、津… この記事は有料記事です。残り562文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「万死を冒して」撮った被災地 涙のむ観衆、上映で義援金集めも
独自 有料記事 黒田健朗 吉田耕一郎2023年8月26日 21時32分 【動画】関東大震災直後の様子を記録したとみられるフィルムが発見された=矢木隆晴撮影 発見された映像フィルムのタイトルには「関東大地震 大正十二年九月一日 大阪朝日新聞社撮影」とあった。朝日新聞は震災直後、どのような取材をしたのだろうか。 朝日新聞社史によると、この関東大震災によって、東京朝日新聞は社屋内部が全焼し、新聞の発行ができなくなった。そうしたなか、東京朝日の社会部記者、福馬謙造が被災地を写した写真フィルムを持って1923年9月1日夜に東京を出発。4日朝に大阪朝日新聞本社に到着し、東京の惨状を伝えたことが知られている。 大阪朝日からも被害状況を確認しようと、記者らが関東方面へ出発していた。その中に、映像を撮影する「活動写真第一班」も含まれていた。朝日新聞がこの年の10月に発行した「関東大震災記」には、「震災の最中に急派した本社の活動写真隊は万死を冒して撮影」を行ったと記されている。 社史や同年9月4日付大阪朝日朝刊によると、地震発生の当日午後に出発した活動写真第一班は、静岡県内で鉄道が不通になっていたため、自動車や徒歩に切り替えて、同県東部の沼津までたどり着いた。 当時の記事は「沼津附近(ふきん)の被害、三島神社境内の避難の状況、救護班の活動」などを映像に収めたと伝える。 フィルムには実際、沼津駅前… この記事は有料記事です。残り562文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「大曲の花火」でヒマワリの大輪を夜空に ウクライナの平和願って
室矢英樹2023年8月26日 22時10分 日本三大花火大会のひとつで、日本一の花火師を決める「大曲の花火」(第95回全国花火競技大会)が26日、秋田県大仙市の雄物川河畔であった。全国から選抜された東京や愛知、福岡など12都県の28社の花火師が腕を競い、夜空に1万8千発の大輪を打ち上げた。 競技の合間に地元4社が共同で打ち上げる企画は、今年は「平和」がテーマ。2千発の花火でウクライナの国花ヒマワリを表現し、ロシアの作曲家・ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」が添えられた。 「火薬は使い方を誤れば人々を悲しませ、花火にすれば感動を呼ぶ」。企画した地元・北日本花火興業の今野義和社長(59)がメッセージを込めた。 競技は、煙で夕空に色模様を描く「昼花火」でスタート。日没後に「夜花火」へ移り、伝統的な大型の10号玉と、音楽に合わせて花火につけられたタイトルを表現する創造花火が打ち上げられた。 4年ぶりに来場制限がなく、露店も復活。ネット販売では最高額5万円のプラチナ席が5分で完売し、約10万人分の有料観覧席が売り切れた。(室矢英樹) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
湾岸照らす虹の架け橋 レインボーブリッジ開通30年のライトアップ
吉田耕一郎2023年8月26日 23時00分 東京・お台場と対岸を結ぶレインボーブリッジが26日、開通から30年を迎えたのを記念し、「虹色」にライトアップされた。 通常の照明がいったん消え、橋が午後8時に江戸紫や黄、緑、青など7色に染まり、花火が打ち上げられると、カップルや親子連れらの歓声が上がった。 19日から日替わりでエメラルドグリーン、紫、だいだい色など単色のライトアップが行われていた。 今回の7色には「明るい未来を!」というメッセージが込められているという。27日も日没30分後から翌28日午前0時まで同様のライトアップがある。(吉田耕一郎) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
レインボーブリッジ30年、保守の歴史は 主塔のペンキも塗り替え
東京・お台場と対岸を結ぶレインボーブリッジのライトアップの基本は夏の白、暖色の冬用の白、レインボーの3色だ。交互に365日繰り返す。 当初は投光器にカラーフィルムを貼り付け、色を出していたが、2019年にLED投光器に変更。多彩な彩りを演出することが可能になった。368の投光器が夜を照らす。 その光を使って、レインボーブリッジを真っ赤にできないか。 橋を管理する首都高速道路(首都高)が東京都から相談されたのは2020年のことだった。 世界中で新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)していた。感染者拡大の「東京アラート」を都民に伝えるため赤くライトアップしてほしいというのだ。 医療関係者を応援するためのブルーライトアップは実施していた。「ただ、東京アラートは感染者数や医療体制を検討して出されるもの。いつ何時にでるのかわからない。失敗の怖さがあった」と施設保全設計課長の篠沢宗一郎さんは振り返る。 アラートなので、試験点灯もできない。コンピューター上ではうまくいっても、実際にどのような赤になるのかわからない。 日没から0時までライトアップするのが通常だが、途中で色を切り替えたことはなかった。「出せます」とは回答できなかった。 2020年6月2日午後4時ごろ、東京都庁の担当者から連絡があった。「東京アラートがでる予定なので、23時に赤くして欲しい」 レインボーブリッジが開通して26日で30年。保守・管理にもドラマがありました。 昼間にこっそり練習 それでも…… まだ明るいうちに、こっそり… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル