書いたこともない舞台の脚本を書こうと思った原動力は、憤りだった。多くの子どもが虐待で命を落としている。そのことへの憤りが机に向かわせた。 埼玉県坂戸市の佐藤和恵さん(71)は民生委員として10年以上、地域を見守ってきた。 数年ほど前から深夜に公園で遊ぶ子どもの姿を見かけることが増えた。そのことが気にかかっていた。 子どもたちに何が起きているのか――。児童相談所や児童養護施設へ視察を重ねた。 5年前、虐待で亡くなった子どものニュースを見て、いてもたってもいられなくなった。「子どもたちは虐待を受けるために生まれてくるわけじゃない」 その後2週間ほどで100ページ以上ある脚本を書き上げた。 施設で暮らす子が笑顔を取り戻す「ひまわりの家」 できあがった「ひまわりの家」は、虐待を受けたり、両親が育てられなくなったりした子どもたちが暮らす児童養護施設が舞台だ。施設で暮らす子どもたちが、施設の職員らと関わりながら笑顔を取り戻していく。 舞台はこんなイントロダクションで始まる。 「子どもたちの多くは虐待の… この記事は有料記事です。残り1222文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
発注者にも悩ましいインボイス 人間関係優先「負担は求められない」
10月に始まるインボイス(適格請求書)制度では、年間売り上げが1千万円以下の個人事業者が大きく影響を被るとみられている。 事実上の増税となるかどうかは取引先との契約次第といえるが、一方の発注者側も頭を抱えている。個人事業者の持つ技術はもちろん、「人間関係」まで切るような事態は避けたいからだ。 CGクリエーターのブンサダカさんがインボイス制度を知ったのは、2022年8月のことだった。 「インボイス制度にアニメーター団体も反対」。自宅兼事務所のパソコンでウェブサイトを見ていた時、自らも所属する団体が制度に反対するニュースが目にとまった。「全国のクリエーターにとって大変に不利だ」と直感した。その日、ツイッターに「僕ら個人事業主はほとんど終わる」と書き込んだ。 ロックバンド「BO●(Oに/(スラッシュ))WY」のアルバムのジャケットをデザインするなど30年以上、クリエーターとして活動してきた。 現在はディレクターとして、映像制作の依頼を受ける個人事業者であると同時に、アシスタントや声優、カメラマンなどの個人事業者に仕事を委託する発注業者の立場でもある。 待ち受ける「いばらの道」 「良い仕事をするにはスタッ… この記事は有料記事です。残り1082文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
泥で埋まったグラウンド…広がる球児への支援、苦境で強まった団結力
3年生の先輩が引退し、新チームが発足したばかりのころだった。 毎日のように白球を追い続けていたグラウンドは、流れ込んできた泥で埋め尽くされ、白っぽくなっていた。 部室にも泥がたまり、練習で使うボールは水を含んで重くなっている。 これでは、練習どころではない――。 福岡県久留米市の浮羽工業高校で、野球部の主将、古賀遼都さん(16)は「使ってきた道具が、急に使えなくなってしまった」と心が沈んだ。 野球部の環境を一変させたのが、7月10日に降った大雨だった。 浮羽工は田主丸地区にあり、激しい雨によって校舎とグラウンドの間を流れる巨瀬(こせ)川から水があふれ、一帯をのみこんだ。 筑後地区新人大会の予選まで、あと1カ月。新チームにとって大事な大会で、ほとんど練習できないまま試合に臨むことになりかねない。 焦りがつのるなか、名嶋正信監督(60)が近くの学校に声をかけると、久留米学園と久留米、久留米筑水の3校が合同練習に応じてくれることになった。 支援の輪は、さらに広がった。 全国の野球関係者が支援、ボールやバットを学校へ 道具類も大きな被害を受けた… この記事は有料記事です。残り1047文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
関東大震災、大火と台風の関係は? 100年前の台風を再現すると…
9万人以上が火災で亡くなった関東大震災。当時、日本列島近くを台風が通過中で、強風によって火災の被害が拡大したと考えられている。台風以外の影響はなかったのだろうか。横浜国立大学台風科学技術研究センター(TRC、センター長・筆保弘徳教授)の研究チームが、100年前の当時の台風を再現し、検証した。 関東大震災は9月1日の正午前に発生。東京を中心に丸2日間にわたって火災が発生し、死者10万5385人のうち約9割にあたる9万1781人が火災で亡くなった。 この時は、台風が日本海側を進んでいた。現在の東京都千代田区大手町1丁目にあった中央気象台の記録では、正午ごろの風速は毎秒8メートルほどと強かった。強風が火災の拡大につながったとされる。 研究チームは、気象予報などで使っているモデルから過去にさかのぼって大気の状態を推定する「再解析データ」を用いて当時の台風の移動を再現したうえで、当時の東京の風や気温の変化をシミュレーションした。 その結果、地震発生後の正午ごろに東京で強い風が吹いていたことが分かった。 観測記録と一致することから、強風は局地的なものではなく、台風の影響だったことを示しているという。関東大震災での出火は地震の発生直後が多かったため、台風による強風が被害の拡大につながったと考えられるという。 夕方以降は… その一方で、記録では夕方以… この記事は有料記事です。残り508文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
次期大河ドラマの紫式部 ゆかりの「越前国府」どこ?特定へ発掘調査
かつて紫式部が過ごした「越前国府」は市内のどこに位置していたのか。福井県越前市が今年度、国府があった場所の発掘調査に力を入れている。来年は北陸新幹線の福井延伸で市内に新駅が開業するほか、NHK大河ドラマ「光る君へ」の放送もある。国府の位置の特定で、紫式部ゆかりの町としての知名度アップにつなげられるか――。 7月26日午後、調査に参加する市内外のボランティア十数人が、市中心部の空き地に集まった。 「遺構が出てきたら掘り下げていきます。モノが出てきたら、それから遺構の年代が分かります」。市教育委員会学芸員の西脇菜々さん(22)が説明する。 参加者はスコップなど道具を使って発掘の練習に取り組んだ。9月以降は市街地にある本興寺(同市国府1丁目)で、計39人の市民ボランティアが発掘に取り組むことになっている。 数年前から国府の調査に取り組んできた澤崎正喜さん(72)は「国司の館をまず特定すれば、紫式部が日ごろどんな場所から越前の景色を眺めていたかが分かる」。平安時代に興味を持っているという高志中学2年の清水彩香さん(13)も「世紀の大発見を」と意気込んだ。 国府とは、都から派遣されてきた国司が政務を執る国庁を中心につくられた古代都市。地方政治や産業、文化の拠点となる。伯耆(ほうき)国府跡(鳥取県)や下野国府跡(栃木県)など数カ所は場所が判明しているが、越前国府など多くは分からないままになっている。 特定できてない国府跡地 式部は越前国に国司として都から赴任した父の藤原為時に同行し、この地を踏んだ。都を離れて過ごした唯一の土地だとされる。996年に来て、1年ほど越前で過ごした。式部の作品には、越前の日野山を眺めながら都の風景を懐かしむ気持ちを詠んだ歌など当時の作品が残されている。 地元ではこれまでも場所を特… この記事は有料記事です。残り948文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
修繕に地域外の力もいざ参集 黒沢映画きっかけで再現の戦国の馬防柵
1575(天正3)年に織田・徳川の連合軍が武田軍を破った「長篠・設楽原の戦い」があった愛知県新城市の東郷地区。高さ3メートル超の馬防柵(ばぼうさく)が約100メートルにわたって続き、古戦場であった往時をしのばせる。柵は40年以上前に地元住民が再現した。高齢化や人口減少で柵の維持が困難となる中、地域の外からの「力」も得て、柵を守っていく取り組みが始まっている。 昨年12月にあった柵の修繕。地面に木材を立て、その木材に横木をくくりつける作業に、住民30人に加え、名古屋市や同県岡崎市、静岡県、三重県などから6人の男女が参加した。 楽しげに作業にあたったといい、参加した男性(49)は「知識として知っている歴史を追体験できる」と意義を語る。柵の維持活動に取り組んできた地元住民でつくる「設楽原をまもる会」の今泉研吾会長(81)は「楽しいというより大変な仕事だと思っていた。楽しんで参加していることにびっくりした」と話す。 「長篠・設楽原の戦い」では、織田・徳川の連合軍が馬防柵をつくり、武田軍の騎馬隊の進撃を防いだとされる。1980年公開の黒沢明監督の映画「影武者」で、「長篠・設楽原の戦い」も描かれた。映画をみて、東郷地区に観光客が足を運ぶようになったが、あたりに広がるのは田んぼばかり。ここが古戦場であることがわかるようなものはなかった。 そのため、住民から馬防柵を再現しようという声が上がり、「影武者」の公開翌年に柵を作った。それ以降、古くなった柵を新しいものに取り換えながら維持してきた。 「影武者」公開で上がった地元からの声 柵は、長さ4メートル、太さ… この記事は有料記事です。残り1013文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
学校から「HB」がなくなる? 変わる鉛筆事情、販売は1%未満に
学校の「アレ」は今 (7) HB鉛筆 最後に鉛筆で字を書いたのはいつだっただろう。力を込めると先端がパキッと折れる。書き続けているとどんどん文字が太くなる。夢中で書いて、気づけば手の側面が真っ黒だった。 誰しも同じような記憶があるはずだ。では、そのとき持っていた鉛筆の種類は? いま、学校現場から「HB」の鉛筆がなくなりつつあるという。実際に小学生の子どもがいる同僚に聞いてみると、「小3の娘は2B15本、B1本、HB0本。2Bの圧勝です」「小2の息子の筆箱は2Bと4Bだけ」といった答えが返ってきた。 記者(26)が小学生の頃は、児童によって様々な鉛筆が使われていた記憶がある。私自身、小学校低学年の頃から筆圧が強く、2Bだと頻繁に芯が折れた。だから、遅くとも小4の頃にはBかHBを使っていた。同僚の記者からは「HBはお姉さんの証しだった」と小学生時代を回顧する声も聞かれた。なぜいま、2B以上が主流になっているのか。 小中学生のころ、学校でよく使っていた「アレ」。まだあるのかな。今はどうなっているのかな。20~40代の記者たちが、懐かしみながら探ってみると…教育や社会の変化が見えてきました。 ■販売割合、2Bは75% H… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
眠れぬ在宅介護の現実 孫のお笑い芸人がいらだちも含め動画で配信
お笑いコンビ「デカダンス」・芦名秀介さん 僕は32歳で独身、まだ売れないお笑い芸人です。生まれも育ちも川崎市で、99歳のおじいちゃんと木造2階建ての一軒家で暮らしています。ちなみに、この家はおじいちゃんが若いころに建てた自慢の我が家です。 おじいちゃんの健康状態は現在、要介護3。今月上旬にコロナに感染したのですが、猛暑による熱中症の対応に追われる病院へは入院できず、デイサービスにも通えない状態になりました。同居する僕は、近所に住むおばたちの助けを借りながら在宅で看病したのですが、精神的にかなり追い詰められました。 おじいちゃんは普段、1階のベッドに寝ていて、自力でトイレへ行くことができます。ただし、ここ1年ほどで足腰が弱まり、感染後は体力がかなり落ちてしまいました。ある日、寝ているはずのおじいちゃんの様子を見にいくと、血だらけで床に倒れていました。どうやらトイレから戻る際に転んだ後、なんとか起き上がろうと長い時間、必死にもがいていたようなのです。僕が気づいた時には、足の爪やひざにたくさんのけがを作っていました。それ以降、僕は2階の自室から布団を下ろし、つきっきりで見守ることにしました。 頻繁にトイレに行きたがるお… この記事は有料記事です。残り1265文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
救命胴衣にGPS、南三陸で実証実験 津波で同僚失った元課長が提案
山浦正敬2023年8月27日 9時17分 津波で沖に流された人を早期発見して救出につなげようと、GPS(全地球測位システム)機能付き救命胴衣を開発する民間プロジェクトが動き始めた。東日本大震災で被災した宮城県南三陸町と連携し、29日に海で実証実験をする予定だ。震災で同僚を失った元町課長の提案がプロジェクトの原点という。 プロジェクトの主体は「ガーディアン72」(東京都、有馬朱美社長)と関連の一般社団法人などで、7日に町役場で発表した。佐藤仁町長も同席した。 発表によると、救命胴衣のGPS装置は常時電源オンで、津波で沖に流された場合、陸側で受信する位置情報を使って、早期に救助に向かうことができる。結果的に行方不明者を減らし、亡くなった場合も早期に遺族の元に戻すことにつなげられるとみている。 GPS装置の位置情報は、災害時だけ示す仕組みで特許をとったという。救命胴衣は頭を守るフード付きのタイプで、メーカーから販売する予定。学校などの公共施設や高齢者施設への配備を想定している。 南三陸町は震災で、620人が死亡し、現在も211人が行方不明だ。当時の総務課長が、旧防災対策庁舎などで同僚を亡くした教訓から、救命胴衣の配備を提案したのが、今回のプロジェクトにつながったという。29日は志津川湾の5~10キロ沖の救命胴衣と陸側の受信局とで想定通りに通信できるかを確かめる。 プロジェクトは簡易なリストバンド方式も同時に開発中で、南海トラフ巨大地震などで被害が想定される和歌山県串本町や北海道様似町でも順次、実証実験を予定している。実用化は来年5月を目指す。 佐藤町長は「津波の被災地としては次に備えて何もしないわけにはいかない。病院職員のように、患者の世話で逃げられないような人たちにまず配備すれば、犠牲を1人でも少なくできる」と期待を寄せた。(山浦正敬) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
姫路城の別名めぐる不思議 地元では「しらさぎじょう」と呼ばない?
世界文化遺産・姫路城(兵庫県姫路市)には、よく知られた別名がある。白漆喰(しっくい)が施された城の姿をシラサギにたとえ「白鷺城」と称される。では、この別名はどう読むのか。地元には「しらさぎじょう」ではない読み方がある。 漢字表記では読み方は分からないが、英語表記があれば確認できる。世界遺産を認定するユネスコのサイトを見ると「Shirasagi-jo」と記述されている。やはり「しらさぎじょう」が正しいのか。 参考に姫路市のサイトの自動翻訳版で英語表記を確認した。こちらは「hakurojo」と記されていた。観光客が手に取る「姫路ツーリスト ガイド&マップ」の英語版の表記も「Hakuro-jo」になっている。 「白鷺=はくろ」は地元ではよく見かける。城のすぐ近くにある学校は「姫路市立白鷺(はくろ)小中学校」だし、城の西を流れる船場川にかかるのは「白鷺(はくろ)橋」だ。 「はくろじょう」説の根拠としてよく語られるのが、「姫路城史」を著した郷土史家の橋本政次氏(1886~1973)の言葉だ。質問に答える形式で解説する「姫路城の話」には「なぜ白鷺城というか」という項目がある。 1993年に再発行された「姫路城の話」の記述を見てみよう。 本文冒頭で「白鷺城(はくろ… この記事は有料記事です。残り801文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル