内海日和 杉山匡史2023年8月12日 19時19分 真夏の風物詩、徳島市の阿波踊りが12日、開幕した。新型コロナウイルスが5類に移行し、通常に近い開催となった。出演を見送ってきた「踊る阿呆(あほう)」の姿が戻り、国内外から「見る阿呆」も多数訪れて、笛や太鼓、鉦(かね)などの鳴り物にかけ声が合わさった本調子の「ぞめき」を楽しんだ。 午後6時、JR徳島駅に近い藍場浜演舞場で、編み笠に着物姿の踊り手たちが一糸乱れぬ群舞を披露してスタートした。 1席20万円のプレミアム桟敷席が初めて設けられ、外国人観光客らが畳敷きに座椅子を置いた特別な空間で、踊りの熱気を感じながら阿波尾鶏や阿波牛を使った特製料理に舌鼓を打った。 コロナ対策を施して開催された昨年夏は、踊り連から800人を超える感染者が出た。教訓を踏まえ、踊り手の控室のスペースを広げ、空気清浄機を増設して感染防止に努めている。(内海日和、杉山匡史) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
日航機墜落から38年 御巣鷹の墓標に花供え「また一緒にビールを」
有料記事 山田みう 川村さくら 吉村駿2023年8月12日 16時00分 日本航空(JAL)のジャンボ機が1985年に墜落し、乗客・乗員520人が亡くなった事故は12日、発生から38年を迎えた。全国から集まった遺族らは朝から、墜落現場となった「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に慰霊の登山へと向かった。 尾根は標高1500メートル超。周囲に支えられながら杖を使う高齢者や、事故後に生まれた若い世代の姿もあり、遺族らは登山道や斜面に立ち並ぶ墓標に花を手向け、手を合わせた。 「また一緒に飲みたい」 義弟の小沢孝之さん(当時2… この記事は有料記事です。残り366文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
シカ用では強度不足?ツキノワグマが「箱わな」脱出、天井こじ開ける
青木康行2023年8月12日 16時00分 イノシシやシカを捕獲するための「箱わな」にかかったクマが逃げ出す瞬間を兵庫県丹波市青垣町の大西伸弘さん(65)が撮影した。クマはわなの天井を壊した後、裏山へ逃げていったという。 大西さんは元県立柏原高校長で丹波市生涯学習推進員。7月26日午前5時半ごろ、自宅の台所にいたら、外でガチャガチャと大きな音がした。外へ出てみると、体長1・2メートルくらいのツキノワグマがわなにかかっていた。 クマが頑丈なわなを壊すとは思いもしなかったので、急いで自宅からスマートフォンを持ち出した。撮影しようと約10メートルまで近づいた時、突然クマは立ち上がり、天井を胴体が通れるまでこじ開けた。柵をよじ登ってわなから抜けだし、裏山へ逃げていった。 大西さんに危害はなかった。「クマの顔が葉っぱで隠れ、目が合わなかったのが幸いしたのでしょうか」。わなから逃げ出す瞬間、1枚だけシャッターを押していた。 イノシシやシカの食害対策用に県などがわなを設置していた。大西さんは栗や柿の枝をクマが折ったとみられる痕跡は見たことがあるが、クマそのものを見たのは初めてだったという。(青木康行) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
孤独であきらめかけた空手の道 居酒屋バイトで手にした縁に救われた
8月5日、東京の日本武道館。田畑梨花(たはたりんか)(22)は、全日本空手道体重別選手権に臨んだ。ちょっとしたスキで勝敗が決まる、厳しくも繊細な武道である。 女子個人組手50キロ級。3~4人が総当たりのリーグ戦を戦い、それぞれの1位が準々決勝に進む。 リーグ戦で田畑は攻めた。突き、蹴りが決まる。ポイント数で圧倒した。 準々決勝までの間、田畑は空手をあきらめかけた「昔の自分」を思った。 兵庫県宝塚市に生まれた。5歳のとき、近所で体操をしているところがあると聞き、体験に行くと、そこは空手の道場だった。 空手が強い中高一貫の私立学校に入学し、高校で伸びた。クロアチアやカザフスタンの大会で優勝するなど、世界を転戦して勝利を重ね、18歳以下のポイント数で世界1位になった。 田畑は大学に進み、関西学生で優勝。世界のリーグで3位になった。世界一を狙える位置にまで来た。 ところが……。 2020年。コロナの感染拡大で、学生に外出禁止が命じられる。国内試合が中止になる。海外の試合に出場できず、ランキングのポイントが下がっていく。 焦る。家で蹴りを練習していたら、床を壊した。 そして大学4年生になった。コロナが落ち着いてきた22年秋、国内大会に出るが、成績が残せなかった。 〈孤独だ。もう限界や〉 翌23年1月、ギリシャで国… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
歴戦の兵士は「抜け殻」になった 戦場で父に何が…解かれ始めた封印
【動画】復員兵だった父について語る黒井秋夫さん=後藤遼太撮影 1本のホームビデオがある。 「おじいちゃん、ピースしてくれ。早くしてくれよう」 幼い男の子の無邪気な声に、無言で目をそらす白髪の男性の姿が映る。 黒井秋夫さん(74)の父・慶次郎さんの晩年の姿だ。「無気力で、そこにいるかいないかも分からないようなおやじでしたよ」。もはや「抜け殻」と呼ぶしかないような人間だった、という。 黒井さんは山形県庄内地方の小さな村で生まれ育った。両親と兄、弟の5人家族。 生活は常に苦しかった。中国戦線からの復員兵だった父は、定職に就かず日雇いの現場を渡り歩いた。 異様だったのは、父が家族とさえ口をきかなかったことだ。自分から言葉を発せず、問われれば一言二言、単語をかえすだけ。悲しげな困惑の表情で黙り込み、笑顔など見せたこともなかった。 近所の子どもは「六尺おやじ」と呼んだ。六尺(1・8メートル)の言葉通り、確かに大柄だったが、親しみを込めた呼び名でないことは子ども心にも分かった。むしろ、侮蔑の響きがにじんでいた。 「うどの大木……、言ってみりゃ、『でくのぼう』ってことですよ」 奨学金で大学に進んだ黒井さんは学生運動に身を投じた。社会人になると、しゃにむに働いた。「あんな男だけにはなるまい」。その一心だった。 晩年まで誰とも口をきかず、家に引きこもった父は、1990年に77歳で亡くなった。黒井さんは涙一つ、流さなかった。「何の感情もわかなかったんだ」 父を思い出すこともなく、年月が過ぎた。 2015年末、黒井さんはふとしたきっかけで、ベトナム帰還兵のドキュメンタリー番組を見た。 アレン・ネルソン(故人)。18歳で海兵隊に入り、ベトナムで多くの敵兵を殺害して四つの勲章をもらった。 帰国後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむようになる。毎晩のように悪夢で戦場の記憶がよみがえり、家族を怒鳴りつけた。ホームレス生活も経験し、立ち直るまで18年かかったという。 何年も忘れ去っていた父の顔が突然、黒井さんの脳裏に浮かんだ。 悪夢、酒浸り、家族への暴力――。過酷な戦争体験からトラウマを抱え、後遺症に悩む旧日本兵たちの存在は置き去りにされてきました。ようやく語れるようになった子や孫の証言から、連鎖する心の傷の問題を考えます。 「父は…中国人を殺さなかったはずがない」 「戦場は地獄だ」と話す帰還… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
モニターから消えた123便 墜落事故を知るJAL社員が託す覚悟
羽田空港の日本航空(JAL)のカウンターはお盆の帰省客でごった返していた。 夏休みの一人旅だろうか。カウンターの前で、小学校低学年くらいの男の子が心細そうに母親にくっついていた。 発券を担当していた伊藤由美子さんは「すごいね、一人で飛行機に乗るんだね」と声をかけた。 男の子は緊張した様子で押し黙ってしまった。代わりに母親が答えた。 「きょう初めての一人旅なんです」 「すごいね、いってらっしゃい」 そう言って、男の子を送り出した。 午後6時半ごろだっただろうか。さっき発ったばかりの大阪行きの便が羽田に引き返してくるとの連絡があった。「後方のドアの不具合」だという。モニターの到着予定の欄に「123便」と表示されていた。 「500人以上の乗客を新幹線に振り替えられるかな」。そう思いながら発券作業を続けていると、カウンター越しに男性客が声をかけてきた。 「いま、NHKで『日航機がレーダーから消えた』ってテロップが流れたんだけど、本当?」 嫌な予感がした。もう一度、モニターを見た。さっきまであった「123便」の表示が消えていた。 不安に包まれ、体中に震え 「確認します」と言ってカウ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
切り立つ断崖、死角の入り江 追い込んだ先、カーテンで隠された仕事
太地の漁師たちがクジラやイルカの群れを追い込むのは、漁港から1キロほど北にある畠尻湾だ。 湾は入り口の幅が100メートル、奥行きは200メートルほど。切り立った崖に囲まれている。 群れを追い込んだ12隻の船は、湾にさしかかるころには4隻になっている。のこりの漁師たちは一足先に漁港に帰って、カッパのつなぎやウェットスーツに着替えて船外機つきのボートで戻ってきている。 クジラやイルカの群れが畠尻湾に入ったら、ボートの漁師が海に網を下ろし、湾の入り口をふさいでいく。 湾のなかほどに、湾へ突きでた崖がある。 崖の裏側にある小さな入り江を「景浦(かげうら)」と呼ぶ。岸からは死角になっている。漁師たちは群れを景浦へ追いたてながら、網をせばめていく。 漁師たちが群れを追い込んでくるとき、上空をドローンが飛ぶ。 漁に反対する人たちが漁の様子を撮影している。畠尻湾へ追い込んだあとはドローンを引きあげ、近くの高台からライブ配信を始める。 反対派が狙うのは、漁師たちがなまなましく「命」と接するところ。 漁師たちは、それが自分たち… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
映画「オッペンハイマー」と福島と 核の被害語ることは「悪」なのか
7月下旬から米国で公開されたある映画が話題を呼んでいる。「オッペンハイマー」――。「原爆の父」とも呼ばれる物理学者ロバート・オッペンハイマーの伝記映画だ。米国では好評を博すが、米デュポール大学(シカゴ)の宮本ゆき教授(倫理学)は強い憤りと違和感を抱いているという。米国でも、そして福島でも、核(原子力)を語るときに「置き去りにされているもの」を考える。 広島県出身の被爆2世でもある宮本さんは、米国の大学で20年近くにわたり、倫理学の講義で「原爆論説」を教えてきた。 米国では今も、広島と長崎への原爆投下を肯定する考えが根強い。学生たちも「原爆で戦争が早く終わった。米国人や日本人の命が救われた」などと教わってきているという。 一方で、原爆の被害については、ほとんど知られていないのが実情だ。「原爆が爆発したらどうなるか、人にどのような影響があるか、そこがすぽーんと抜けてしまっているんです」 「オッペンハイマー」には、そんな米国の原爆観と似たものを感じとった。科学者が抱える苦悩は描かれるが、人の被害についての描写はほとんどないのだ。 「女性の皮膚がめくれるシーンがありますが、きれいなんです。皮膚がめくれて赤みが出るとかではなくて、うっすらはがれるんです。これが、米国の多数が不愉快にならない、ギリギリの線なのかなという感じを受けました」 映画は米国内では好評価を得ており、原作もベストセラーになっている。同日公開の映画「バービー」と2本立てで見ようという動きが起き、「バーベンハイマー」なる造語もできた。「本当に核がエンタメなんです。スパイダーマンやハルクなどスーパーヒーローも、放射能を取り込むことで強くなりますよね」 そこには1940年代後半から続く、「核(原子力)は偉大だが、手なずけられる力」という考え方がにじんでいると、宮本さんはみる。核は人の手でコントロールができるが、扱う人間によって善にも悪にもなる、ということだ。 「核を取り合うというシーンはハリウッド映画でもよく登場します。自分たちが持つのはいいけど、悪いやつの手に渡るのはいけないから取り返そうっていう、それなんです」 語られぬ核「被害」 核抑止論に「恩義」 こうした核への見方が広がる社会の中、見過ごされてきたのが被曝被害だと、宮本さんは強調する。 そこには政治的な意図も絡む… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ダンス部なくても踊りたい! 校長に直談判した中学生5人、大舞台に
岡山市立吉備中学1年の女子5人が、神戸市で13、14日にある「第11回全日本小中学生ダンスコンクール西日本大会」(朝日新聞社主催)に挑む。同じダンス教室で汗を流す仲間で、校内にダンス好きの仲間を増やしたいとの思いを抱き、出場する。 5人は6月から、休日などを利用してダンススタジオや吉備公民館を借り練習を重ねている。リーダーの甲斐風花(ふうか)さんが、歌手「Ado」の曲に振り付けした動画を配り、それぞれが自宅で練習した。 甲斐さんの考えた振り付けをベースに、それぞれが得意なジャンルをアレンジして完成させたダンスは大会の動画審査を通過。学校参加の部(20団体)では中四国唯一の出場という形で実を結んだ。チーム名は吉備のダンスで、「KIBIDAN」にした。 5人が今春入学した吉備中に… この記事は有料記事です。残り669文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
日本最大級の巨大スッポン、独自の漁法で捕まえた 重さは5キロ超
鳥取県日野町の田渕久之さん(77)が、甲羅の長さ約38センチの巨大なスッポン(ニホンスッポン)を町内の日野川で捕獲した。専門家によると、国内で過去に確認された野生の個体では最大級に近い大きさという。田渕さんは、「展示や研究の施設で受け入れてくれないだろうか」と無償で提供する意向だ。 田渕さんは5年ほど前から、独特の漁法でスッポンを捕っている。数十センチの糸の先に針が付いたものを5本ほど並べて別の糸に結んだ、はえ縄のような仕掛けを使う。ドジョウやイカ、アユの切り身などの餌を付けて川に沈めておくと、夜のうちにスッポンが食いつく。かつてウナギ漁をしていた時の経験を生かした捕り方で、この方法でスッポンを狙う人は周囲にはいないという。 大物を捕まえたのは6月下旬の早朝。いつものように、前日夕に仕掛けたポイントに向かった。糸をたぐり寄せると獲物は泥に潜っていた。糸を引く力を強めてもなかなか上がってこない。「30センチ超えの大物だな」と直感、玉網を使って捕獲した。 捕まえた時にいつも調理を頼んでいる近くの食堂「ルートサイド竹の子村」に持ち込んだ。「びっくりした。ケタ違いだと思った」と経営者の竹永明文さん(68)。スッポン養殖を手がけた経験があり、調理歴は約40年。その目で見ても明らかに大物だと分かった。測ってみると甲羅長約38センチ、重さは5キロ以上あった。 野生のスッポンは甲羅長30センチ程度まで成長するとされるが、それを超える大型の個体も時折姿を見せる。淡水性カメの研究者らでつくる日本カメ自然誌研究会によると、2011年に京都府で甲羅長38・5センチ、重さ7・3キロのスッポンが捕れた記録がある。また島根県立宍道湖自然館ゴビウスは16年10月、甲羅長39・3センチ、重さ6・7キロのスッポンを展示。松江市内の川で捕獲された個体という。 一方でスッポンは環境省と鳥取県のレッドデータブックでともに、生息数が少ないなどの理由により「情報不足」と区分されている。自然誌研究会の矢部隆代表(理学博士)は、「今回のように、生息地に関する確かな情報や捕獲個体のデータの積み重ねが大切」と話す。 田渕さんがこれまでに捕まえたスッポンは100匹以上。食用が目的だが自身はあまり食べず、提供することで竹の子村で仲間との宴会が開かれるのを楽しみにする。 そしてスッポン捕りを続ける理由がもう一つ。仕掛けを沈めるポイントを探る時は双眼鏡を片手に川で下見をする。「あの近くにおるな」。そう当たりをつけて狙い通り捕れた時の楽しさが忘れられないという。今回の大物が捕れたのはそうやって初めて仕掛けたポイントだった。 スッポンは竹の子村で8月中旬ごろまで飼育している。引き取り手がない場合は川に帰すことも検討するという。問い合わせは竹の子村(0859・72・1119)まで。(清野貴幸) ◇ 公益財団法人・日本自然保護協会は、「日本のカメ一斉調査」を9月末まで実施している。身の回りで見つけたカメをスマートフォンで撮影し投稿する。誰でも参加できるとして協力を呼びかけている。 一斉調査は、ミシシッピアカミミガメなど外来種が増え、ニホンイシガメ、クサガメなどの在来種が減りつつある現状を明らかにしようと10年ごとに実施。過去2回の調査では、観察されたカメの約6割がアカミミガメだったという。 撮影は専用のアプリを使い、人工知能(AI)の助けも借りて種名を特定し、投稿する。併せて、発見した環境やカメが何をしていたかなどの観察メモも求めている。一般家庭や水族館などで飼育されているカメ、過去に撮影した写真の投稿は対象外。結果は協会の特設サイトで11月に公表する。監修は日本カメ自然誌研究会の矢部隆代表。 アカミミガメは6月から、アメリカザリガニとともに「条件付特定外来生物」に指定され、野外に放すことや販売、輸入が罰則・罰金の対象になった。自宅での飼育はできる。(清野貴幸) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル