小沢邦男2023年9月10日 11時27分 2歳の孫を駐車場に止めた車の車内に約9時間半置き去りにして死亡させたとして、岡山県警津山署は10日、同県津山市一方、介護助手柴田節子容疑者(53)を過失致死の疑いで逮捕し、発表した。「考え事をしていて、孫を乗せているのを忘れていた」と容疑を認めているという。 署によると、柴田容疑者は9日午前8時15分ごろから午後5時40分ごろまでの間、勤務先の津山市内の病院駐車場に止めた自分の乗用車の車内に、近くに住む孫の目瀬陽翔(はると)ちゃん(2)を置き去りにし、その過失によって何らかの傷害を負わせて死亡させた疑い。署は熱中症で亡くなった可能性があるとみて、司法解剖して詳しい死因を調べる。 柴田容疑者は9日、近所の長女宅から陽翔ちゃんを保育園に送り届ける予定だったが、長女宅まで車で迎えに行ってそのまま勤務先に直行。車の座席は3列で陽翔ちゃんは運転席の後ろの席でチャイルドシートに座っており、車は施錠されていた。柴田容疑者が勤務を終えて車に戻ったときに陽翔ちゃんに気付いた。ぐったりして呼びかけにも応じなかったという。近くにいた同僚が110番通報した。 現場は屋根のない屋外駐車場。9日の津山市の最高気温は31・7度だった。(小沢邦男) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ラグビー日本代表を支える「宇都宮餃子」 一本の電話で突然シェフに
中華鍋に大量の油を投じて、高い火力で炒めあげる。それが中華料理のイメージ。 ただ、このキッチンに中華鍋はない。選手の体調を考えると、油もあまり使えない。 さて、どうする――。 栃木県鹿沼市。東鹿沼駅から車で約10分、20人入れば満席になる郊外の中華料理屋「Chinese 恵泉」を営む石田篤さん(46)は8月19日から2週間、ラグビー日本代表のシェフとして、イタリアでの事前合宿に同行した。 妻と切り盛りする店で使う野菜は地元産。得意料理は餃子(ギョーザ)やしゅうまいで、季節ごとに上海ガニや伊勢エビと変わるコース料理が定番だ。 だが、イタリアでは選手のために貸し切られたレストランが主戦場となった。選手やスタッフ、約50人分の料理を作らなければならない。 午前4時起床。朝食の中華がゆの準備をする。フードコーディネーターらとその日のメニューを決めるのは、サッカー・ワールドカップ(W杯)でも5大会連続で代表の専属シェフを務め、ラグビーでもその役目を担う西芳照さん。そのメニューに合わせて、次々と調理していく。 選手が近くの宿泊所からやってくると、レストランは大にぎわいだ。朝食が終わると、すぐに昼食、夕飯と続く。ホテルに戻るのは午後11時ごろ。日が変わることもあった。 「店の味とアスリート用の味は変えました」 選手の体のことを考え、極力油は使わない。 「ラビオリみたい」 中華を超えたエビギョーザ 例えば麻婆豆腐。普通は中華… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
子どもを被曝から守りたい 米国女性らの「乳歯検査」伝える映画
有料記事 編集委員・副島英樹2023年9月10日 13時49分 米国内の核実験被害の実態に迫る映画「放射線を浴びたX年後Ⅲ サイレント・フォールアウト~乳歯が語る大陸汚染」の上映会が8月20日、広島市中区で開かれた。「まともな地球を次の世代に残したい。いま歯止めをかけないと取り返しようがなくなる」。上映後、この映画シリーズを手掛けてきた映画監督の伊東英朗さん(63)は訴えた。 今回の映画(96分)は、1950年代から60年代に米ネバダ州で実施された核実験による放射能汚染を追跡。子どもを被曝(ひばく)から守るため女性たちが始めた「乳歯検査」の史実を中心に、4千ページを超える文書と30人の証言で構成している。 「実はみなさん全員、被曝者だっていうことは自覚されているでしょうか」 上映後の若者とのトークイベントで、伊東監督はそう語り始めた。 米国はネバダで100回の大気圏内核実験を行い、太平洋での水爆実験でも放射性降下物(フォールアウト)で米国自身を汚染。映画では、各地で採取されたハチミツからセシウム137が検出される実態が描かれる。核実験由来の汚染は日本列島も例外ではない。 「私たち自身が被曝しているという認識を持たないと、世界中の放射能の問題は変わらない」 60年代の米国では、子どもを守りたいという女性たちの思いと行動が当時のケネディ大統領を動かし、大気圏内での核実験禁止につながった。 「この映画のサブテーマは… この記事は有料記事です。残り450文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
住民2割が外国人の群馬県大泉町 「将来の日本の姿」で共生探る町長
人口のほぼ2割が外国籍の群馬県大泉町。「この町の姿は将来の日本の姿だ」という村山俊明町長に、共生に向けた課題などを聞いた。 1962年生まれ。群馬県大泉町議会議員に97年に初当選し約16年務める。13年に町長に就任し、現在3期目。趣味は、日系ブラジル人が経営するスポーツジムで筋トレ。 ――大泉町では1990年代に外国籍の住民が増えました。3世までの日系人とその配偶者らが定住し働けるようになった、90年の入管法改正がきっかけでした。 「大泉町や周辺地域は製造業で栄えてきました。戦前は戦闘機などを生産していた中島飛行機の工場がありました。現在も自動車や電機メーカーなどの様々な工場があります。80年代から人手不足に直面し、外国籍の人たちが徐々に働くようになりました。当初はバングラデシュやイランなどの出身者が多かった。次第にブラジルやペルーなどの日系人が増え始め、90年の入管法改正で急増しました。今では外国籍住民の半数をブラジルが占めます。国別では計48カ国の住民がいます」 「この33年間で、町の担当課の名前が何度も変わりました。企画調整課内の国際交流係として始まったものが、国際交流課となり、国際政策課、国際協働課を経て、現在は多文化協働課です。単なる名称変更ではなく、自治体が向き合うべきことが変わったのです」 「90年ごろは外国籍のほとんどが日系人で、数年出稼ぎしたら帰国するつもりで来ていた。職場と住居の往復でほかの住民との接触がほとんどなく、交流が必要だと考えられていました。今では町内に10年以上暮らす外国籍の人も非常に多く、大泉町に家を購入する人も増えています。外国籍の方々も一緒に町をつくっていく協働する人です」 労働力ではなく人間 ――外国籍の住民と以前からの住民との共生は実現できましたか。 「外から見える表の顔は、多文化共生の先進的な取り組みをしている町かもしれません。しかし、まだ問題も多いのが実態です」 「政府や企業は労働力がほしいのでしょう。しかし、実際に来るのは人間です。経済を回すための労働力と、生活者は全然違います。そのことを政府は安易に考えているのかもしれません」 「差別などの問題も考えなければいけない。町ではあらゆる差別の撤廃をめざす人権擁護条例を17年に制定し、全国の町村で初めてとなるパートナーシップ制度も19年に導入しました。人権や多様性を重視するのは、外国籍住民が多いという特色があるからです」 「町民からはいろいろな意見がありました。『外国人ばかり住みやすくするのか』『もっと外国人を呼び寄せるのか』といったものもあった。労働人口が減るなか将来を見据えると、人権と多様性を大切にすることが町に住みたい理由になる。結局、日本人を含めた町民全体のためになるはずです」 ――外国籍住民に対する否定的な意見が今もあるんですね。 「自動車窃盗や車上荒らしが問題になった時期もあり、以前のイメージを持ち続けている人も少なくないと思います。日系人が増え始めた90年代からゴミ出しのマナーは問題になり、今でも町には苦情が届きます。分別しない、指定日以外に出すといったものです。休みの日に大音量で音楽をかけながらバーベキューをやるため、騒音や煙の苦情も以前は多かった。対策としてブラジルの公用語のポルトガル語や、ペルーの公用語のスペイン語で啓発活動を始めました。今では7カ国語で実施しています」 「定住化が進むと、ずっと住むつもりの方は清掃活動に参加するなど協力的になって、マナーを守るようになります。でも、新しく来た国の人たちには理解できるまで、改めて伝えなければいけません。伝えようとすれば、多言語で対応することになります。当初はポルトガル語やスペイン語だけでよかったのですが、次々と増えていく。行政としては、すべての住民に平等にサービスを提供する義務があります。しかし、現実問題として少数の言語にまで十分に対応することは、むずかしいです」 ――多言語対応の限界ですね。 英語を町の「共通語」に 「はい。技能実習制度は日本… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「絶対あかんよ」 道頓堀に飛び込んだ男が語る、阪神優勝の熱狂
いまから38年前の1985年11月2日、阪神タイガースが日本一になった日、大阪・道頓堀川に飛び込んだ男がいた。高校2年生だった落語家の桂福若(ふくわか)さん(54)。「道頓堀に飛び込んだら、絶対あかんよ」。当時の熱狂を振り返ったうえで、そんなメッセージを寄せてくれた。 ――なぜ道頓堀に 僕、本当は巨人ファンなんです。王貞治さんの大ファンで。巨人の帽子をかぶってたら、近所のおっちゃんに「教育に悪いことすな」と怒られていました。 この年の阪神は勝ちまくってた。だけど、同級生に「阪神なんて絶対優勝するか」って言うてもうたんです。 「優勝したらどうすんねん」 「道頓堀にでも飛び込んだるわ」、と。 はなし家になろうと思って、師匠(父親の4代目桂福団治)について劇場(道頓堀角座。現在は閉館)にも行ってたんです。それでパッと、「道頓堀」と。 ――日本一の日は? 同級生と2人で道頓堀に行ったら、ものすごい数の人がギュウギュウ詰めになってて。同級生が「飛び込め!」と言うと、周りのおっちゃんたちが「おー!」と歓声を上げるので、飛び込まないとしゃあない。 服を脱いで、用意してきた(… この記事は有料記事です。残り1227文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
紀子さま、57歳に お住まいの改修費増に「心配していた」
多田晃子2023年9月11日 0時00分 【動画】57歳の誕生日を迎えた秋篠宮妃紀子さま=宮内庁提供 秋篠宮妃紀子さまは11日、57歳の誕生日を迎えた。これに先立ち、宮内記者会の質問に文書で回答を寄せた。 秋篠宮邸の改修費用が当初より増えたことを「とても心配しておりました」とし、改修工事やお住まいをめぐる説明については「関係者みなが、考えられる選択をしながらおこなったように思います」と述べた。 次女佳子さまが現在、宮邸ではなく分室(旧御仮寓所(ごかぐうしょ))に住んでいることについても説明した。 改修規模や経費を抑えるため、長男悠仁さま以外の家族4人で相談し、改修後の宮邸には結婚前だった長女小室眞子さんと佳子さまの部屋をつくらず、仮住まい先だった分室を引き続き活用することにしたという。 これまでは「誰がどの場所に住むかは、私的な事柄であり、セキュリティーに関わる事柄」として説明を控えてきた。だが、佳子さまが分室に住んでいることなどの大きな変更点はさらに説明が必要と宮内庁が判断し、説明したという。 佳子さまは折に触れて宮邸に立ち寄り、家族と話をしたり食事をしたりしているという。 総工費約30億2千万円を投じた宮邸の改修にあたり、秋篠宮さまとともに①旧秩父宮邸の意匠の美しい内装、外装を大切に②必要最小限の予算にという希望を宮内庁に伝えていたことも明かした。 自身の今後の活動については「未来を創る子どもたちに思いを馳(は)せ、希望へとつながるような活動にも、専門家やよき仲間たちと一緒に取り組みたい」。佳子さまについては、一つ一つの仕事に熱心に取り組む姿を心強く思っているとし、悠仁さまには「自分らしく学びを深め、さまざまな経験を重ねながら、自らの関心や探究心を大切に」との願いを口にした。米国で生活する眞子さんの幸せを常に願っているとした。(多田晃子) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「亡命、ダメ、ゼッタイ」を笑いにする社会 問われる日本の人権感覚
5月上旬、プロ野球中日ドラゴンズの選手たちが、キューバ出身のライデル・マルティネス投手(26)の活躍を祝い、ケーキを贈った。ケーキには「亡命、ダメ、ゼッタイ」と書かれており、SNS上では人権意識を批判する声が上がった。どんな問題が潜んでいるのか。フォトジャーナリストで、国内外で人権問題の取材を続けるNPO「Dialogue for People」副代表の安田菜津紀さん(36)に聞いた。 ケーキは、マルティネス投手の通算100セーブ達成を祝うものだった。チームメートで同じくキューバ出身のジャリエル・ロドリゲス投手(26)が3月、米大リーグ球団との契約をめざし、亡命したと海外メディアで報じられていた。朝日新聞の取材に、中日球団側は「選手の中ではシャレだった。本人も納得していた」などと説明した。 「本人も笑っていたからいいんだ」という言説に疑問 ――「亡命」という言葉が使われた背景をどう考えますか。 今回は「亡命」という言葉がカジュアルに使われ、その背景には「笑いのネタにしてもいいんだ」という日本社会の土壌があると思います。日本は難民認定率が1%と極端に少ない。世間でも「ランチ難民」などと難民という言葉がカジュアルに使われてきた。本質がぼやかされ、言葉の意味が本来の意味として伝わっていない。 ――キューバでは生活が苦しく、そうした経済的な理由で国民が国を離れるのだそうです。それは公務員と同等の身分である野球選手も同じだと。 経済苦による移民は、難民申請や亡命とは分けて考えられてきましたが、人命を左右する深刻な状況ではあると思います。またキューバでは、抗議活動をした人々が次々逮捕され、重い禁固刑が下ったということも近年ありました。亡命という言葉は本来、こうして安全が脅かされ、自分の故郷で生きていけないという、切実な状況を内包しているはずです。「笑いのネタにしていい」という誤ったメッセージを送ると、当事者の声はますます追いやられてしまう。マジョリティー側の、自分たちの力に無自覚な振る舞いではないだろうかと考えていました。 ――無意識な偏見や侮辱行為を指すマイクロアグレッション(小さな攻撃)のように、相手を否定することを無意識にやってしまった。 踏んでいる側は痛くないので、「それぐらい笑って見過ごせよ」と。でも踏まれている側は、痛みを感じている。そういう力の不均衡の上に、差別やマイクロアグレッションが起きていく。そのような共通の理解が、この社会でまだ乏しい。 「ケーキを受け取った本人は… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「スローニュース」再始動の戦略は 瀬尾代表がつなぐ調査報道の価値
独自の調査報道やノンフィクションなどを配信する「SlowNews(スローニュース)」が6月20日にオープンしました。実は「SlowNews」は昨年夏にいったん停止。1年ぶりに装い新たに再始動したかたちです。以前とどこが違うのか? 「スロー」に込めた思いとは? 「SlowNews」を運営するスローニュース代表、瀬尾傑さんに聞きました。 なにかとタイパが求められるファスト社会で、「スロー」を重視する動きが相次いでいます。ときには立ち止まって、じっくり、深く……スローをめぐる価値、思考の意味を問い直すインタビューシリーズです。 ――今回、「SlowNews」を再始動されました。社名ともどもスローという言葉が入っています。 時間をかけてゆっくり取材する。記事をじっくり書く。読み手はゆっくり咀嚼(そしゃく)して読んで反応する。そんなスローな世界を僕らは目指したいと考えています。 ネットはファスト(速さ)一辺倒。ニュースは次々と流れ、見出しを見て読者は即、反応する。配信する側は見た瞬間にクリックさせるように仕掛ける。こんな世界に対して「違う価値」があることを示したい。 ――調査報道へのこだわりとも関連する? はい。隠れていたファクトを丹念に調べて明らかにする調査報道には手間と時間がかかる。ゆっくりの世界です。でも、様々な観点からチェックされているから、その情報は信頼できる。それは民主主義のためにも不可欠だと思っています。 サブスク停止、戦略変更と再始動 ――前身のSlowNewsは2022年7月に停止したのはなぜですか。 21年2月に始め、およそ1年半で見直すことにしました。お金を払ってもらった会員に独自の調査報道やノンフィクションの書籍などを読んでもらう「サブスク(定額購読)モデル」でスタートしましたが、書籍のような長いコンテンツを読んでもらうことで満足してもらうのは難しかった。プロダクトを随時改善したけれども、期待したマーケットフィットは達成できませんでした。 一方で、関心のある調査報道をお金を払って読みたい読者がきちんといることには手応えを感じた。そこでプロダクト運営よりコンテンツを広く届けることに注力することにしました。 再始動した今回は、相当のリ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「妹を、母親を殺したのは僕なのか」 友失い「記憶」が途絶えた今夏
妹を、母親を殺したのは僕なのか――京都市伏見区の村上敏明さんが、1946年の夏に中国東北部であったことを公表したのは2015年だった。それから8年になる今夏、村上さんは89歳になった。いまも語りつづけている村上さんを再訪すると、記憶をめぐって身もだえる姿があった。 古い友を福岡市にたずねて 村上さんは8月3日、新幹線にのって福岡市の緩和ケア病棟に小林允(まこと)さん(89)をたずねた。 この古い友とのつきあいのはじまりは、中国東北部(旧満州)にあった四平国民学校で同級生になった81年まえの8月までさかのぼる。 村上さんは病室にはいって「元気そうで安心しました」と声をかけた。 小林さんはベッドの端に腰かけて「村上くんのようなね、友だちはいないですよ」とか弱い声でこたえた。 「小林くんは教室で三国志の話をよくしてくれたよね」 「村上くんはおとなしくてめだたなかったなあ」 2人は、軍国主義だった先生のこと、いっしょに読んだ漫画本のこと、今日までの81年間をふりかえる思いを込めたのだろう「おたがい命がけで生きてきたよなあ」ということをぽつぽつと口にしたほかは、2時間15分の面会のほとんどを無言ですごした。 村上さんが病室の窓から見た福岡市の青空は雲が映えていた。 村上さんが「しんどくないか」「横になったら」と声をかけても、小林さんは「まだだいじょうぶ」「もうすこし」と拒んだ。これまでほとんど毎日のように電話で語りあっていたから新しい話題も特段なかった。2人は、いっしょにいる時間をただただ慈しんだ。2人の間には2人だけに聞こえる歓談が確かにあった。 妹と母親に手をかけた記憶 病院から退出して村上さんは「小林くんにもしものことがあったら、僕の記憶は消えてしまうんだ」と言った。 村上さんの「僕の記憶」――僕は、4歳になる年の1938年に京都市から旧満州にわたった。京都市職員だった父が日本の国策会社・南満州鉄道の関連会社に転じるからだった。現地の学校で親友になったのが小林くんだ。 1945年の旧ソ連の参戦、日本の関東軍にとられた父の不在、日本の敗戦・棄民政策が重なって、母、長男の僕、2人の弟と1人の妹の一家5人が旧満州の地にとりのこされた。 1946年の7月のことだ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
外国人労働者の場当たり的受け入れは限界 求められる包括的な政策
有料記事 聞き手・岡田玄2023年9月10日 18時00分 外国人労働者の受け入れをめぐる議論が続いている。技能実習制度を見直して職場を移れるようになると、地方の事業者が人手不足になるとも言われる。どのような政策が必要なのか。移民研究が専門の高谷幸・東京大学准教授に聞いた。 1979年生まれ。東京大学准教授(社会学・移民研究)。著書に「追放と抵抗のポリティクス」、編著に「移民政策とは何か」など。 ――外国人労働者の受け入れについて見直しが検討されていますが、事業者側には不満の声もあります。 技能実習制度に依存したことで、根本的な解決を先送りにしてきました。誰かの人権を制限することによる地域の成長は、果たして健全なのか。特定技能制度の導入は、場当たり的に労働者性をごまかしながら受け入れるのでは持たないという共通認識にもとづいてなされたはずです。 技能実習制度の見直し議論では、転職が自由にできるようになることが、ポイントの一つです。みんなが東京などの大都市に行ってしまうのではないかという不安の声が、事業者側から聞かれました。 でも、これは外国人に限らず日本の労働者でも同じです。外国人も日本人も、きちんと働ける体制を地域で作っていくしかない。それは移民労働者政策としてだけでなく、自治体や産業界も取り組むべき対策であるはずです。 確かに都会の方が給料は高いですが、生活費も高い。そういうことまで考えると、都会に行くことは必ずしも経済的なメリットばかりではありません。 日系人に限らず定住する大き… この記事は有料記事です。残り1762文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 ※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません Source : 社会 – 朝日新聞デジタル