JR鹿児島線の広木駅(鹿児島市)で27日午後10時10分ごろ、普通列車(4両編成)の最後尾の車両がホームに着いていない状態で停車し、ドアを開けた。降りようとした乗客の女子高校生が約1・7メートル下の草むらに落ち、顔や腕などに擦り傷を負った。JR九州が28日発表した。 男性運転士(20代)が、4両編成なのに2両編成の場合の停止位置で列車を止め、ドアを開けてしまったという。27日夜、女子高生の親族から同社に連絡があった。 同社は「けがをされたお客様に対しておわびを申しあげるとともに、ご回復をお祈り申しあげる。運転士に対する指導を徹底し、再発防止に努める」としている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「渋谷はハロウィーン会場ではありません」 ハチ公の周りも封鎖
「ハチ公像周辺は封鎖となります」。31日のハロウィーンを控え、渋谷区は28日午前、渋谷駅前のハチ公像を白い布で覆い、周りもシートで囲って近づけないようにした。 渋谷区内は毎年、ハロウィーンに大勢の人が集まる。路上飲酒や大量のゴミ放置に加えて、今年は外国人観光客の増加もあり、雑踏事故の危険が高まったと区はみている。このため、9月上旬から「渋谷はハロウィーンイベントの会場ではありません」とメッセージを発し、31日や直前の週末などにハロウィーン目的で渋谷に来ないよう呼びかけていた。 ただ、囲いができた後、ハチ公像を一目見ようと、シートの隙間からのぞき込む外国人観光客も見られた。(座小田英史) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
人生のスタート遅れたトランス男性 体にメス、手術強制は「暴力的」
性別を変更する際に、「生殖能力を失わせる手術は不要」と最高裁が判断しました。手術をして戸籍上の性別を女性から男性に変更したユーチューバーの木本奏太さん(32)に、当事者としての思いを聞きました。 ――最高裁の決定をどう受け止めますか。 まずは、本当に大きな「第一歩」だと思います。ただ、すぐに何かが変わるわけではありません。当事者全員が救われるためには、まだ課題が残っています。 ――決定前に、最高裁に手紙を提出されたそうですね。 自分の思いに加え、他の人の意見も書いて伝えました。 僕らが手術要件の撤廃を訴えた記者会見の後、僕のSNSへの反応が1万件以上ありました。ほとんどが「こんなに厳しい要件だったなんて知らなかった」「ありえない」というポジティブな反応でした。当事者から、「顔を出して訴えてもらえて救われた」という感謝の声も寄せられました。 ――自身が性別に違和を感じるようになったのは、いつごろですか。 2、3歳の頃から、保育所などで「女の子」として振り分けられると泣きじゃくっていたそうです。その頃から、男の子として過ごしたかったのだと思います。 小学校の低学年まではドッジボールやサッカーで男の子と遊ぶことが多かったのですが、4年生ぐらいになると、僕の学校では、なんとなく遊び仲間が男女に分かれていきました。「男の子と遊ぶのは恥ずかしいことなのかな?」と思い始めました。性別にとらわれない居場所を探し、独りで絵を描いたりして遊んでいました。 ――中学や高校では、制服に悩んでいる人が多いと聞きます。 中学では女子はセーラー服、高校はブレザーでしたが、スカートは女子生徒だけだったので、スカートがとても苦痛でした。運動部に入っていたので、できるだけ体操服で過ごしていましたが、授業中は制服を着ることが校則で決められていました。 今、女子もパンツスタイルを… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「私は無実」パウロになった袴田さん 死刑確定で変わった神への思い
袴田巌さんは逮捕後の1967年から死刑確定後までの20年超、獄中から家族らに手紙を出し続けていた。司法への期待と絶望、獄中での日々、そしてむしばまれていく精神――。数千枚の手紙からその半生をたどる。 ◇ さんま缶一、みかん十五、大福六――。死刑囚として東京拘置所に収監されていた袴田巌さん(87)から月末に届く手紙には、その月に家族らから差し入れてもらった食品が記され、感謝の言葉が添えられていた。 その一覧に、ひときわ目立つ記載があった。「キラキラ星」。1987年1月の手紙では、赤字で催促していた。 《尚(なお)、現時点で乏しくなっているのは、扇雀飴とキラキラ星です》 (87年1月、家族宛て)… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「悪魔の電波が」乱れる手紙 袴田さんの姉「残された時間長くない」
袴田巌さんは逮捕後の1967年から死刑確定後までの20年超、獄中から家族らに手紙を出し続けていた。司法への期待と絶望、獄中での日々、そしてむしばまれていく精神――。数千枚の手紙からその半生をたどる。 ◇ 1980年代、冤罪(えんざい)の可能性が指摘されていた複数の死刑確定事件で再審が開かれ、無罪判決が続いた。だが、同じように冤罪と訴えてきた袴田巌さん(87)に、大きな動きはなかった。変わらず、収監先の東京拘置所で連日、手紙をしたためる日々が続いた。 このころ、姉の秀子さん(90)に連日届いた便箋(びんせん)には、日記のように日付と天気が書かれ、刑務所内の生活や再審請求、キリスト教、ボクシングへの思いなどがつづられていた。 そんな中、文面には異変が見え始める。 … Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
霊園運営巡り食い違い「出入り禁止」 住職との間に何が 納骨堂殺人
東京都足立区の源証(げんしょう)寺の納骨堂で7月、住職が殺害された事件で、逮捕された墓石販売会社代表の男らと住職の間には、寺の霊園の運営を巡って様々な食い違いがあったことが捜査関係者への取材でわかった。警視庁は食い違いから男らが住職に恨みを募らせ、事件を起こしたとみている。 起訴内容を否認 東京地検は27日、墓石販売会社代表の斎藤竜太被告(50)と、役員の青木淳子被告(63)を殺人罪などで起訴した。捜査関係者によると、2人とも起訴内容を否認しているという。 浄土宗系寺院の源証寺は、500年近い歴史を持つと伝わる古刹(こさつ)だ。寺と、墓石販売会社「鵠祥堂(こくしょうどう)」(千葉県鎌ケ谷市)は2020年3月、ある契約を交わした。源証寺が近隣に持つ土地について、鵠祥堂が整備を担い、墓石販売で回収して利益も得る計画だった。 捜査関係者によると、交わされた契約書は数枚で、霊園運営の権利や義務が書かれていたが、細かい決まりまではなかったという。 良好だった関係、運営方針めぐり一転 鵠祥堂は13年、代表取締役… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
あるがままのビオトープ「創作にも影響」漫画家・大童澄瞳さんに聞く
「ビオトープ」を称する商品の中に、外来種が入っている例がある。観賞用の水草がちぎれて流出し、地域の外来種として定着する可能性も指摘される。 ビオトープはどうあるべきか。「映像研には手を出すな!」で知られ、自宅につくったビオトープの観察が創作にも影響しているという漫画家の大童澄瞳(おおわらすみと)さんに話を聞いた。 連載 ステルス外来種 淡水魚の種類が豊富な岡山平野。その水辺の「外来種」は名が知れた生き物だけではなく、人知れず息づく種も。現状と課題を追いました。 ――どのようなビオトープをつくったのですか 関東の自宅の庭には、ひょうたん形の樹脂製の池と、「トロ舟」などと呼ばれるコンテナが5個、地面を掘ってつくった池が二つあります。 コンテナは地面に埋めるように置き、素掘りの池はベントナイトという粘土を敷いて遮水し、雨水がたまるようにしました。 ――どうしてビオトープをつくったのですか 周りに自然がない住宅街で育… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大阪・天満駅近くのすし店でガスコンロが爆発 客ら約10人が軽傷か
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大トカゲ、目撃情報から4日後に捕獲 撮影中の報道関係者が偶然発見
体長60センチの大型のトカゲが27日、香川県小豆島町の路上で捕獲された。同じ個体とみられるトカゲは23日から近くで目撃されており、香川県警小豆署や同町職員らが捜索していた。 同署によると、トカゲが最初に見つかったのは23日昼で、町内を車で通った住民が目撃し、住民の知人が通報した。 それから4日が経った27日午後1時半ごろ、最初に発見された場所近くで撮影していた報道関係者らがトカゲを発見。近くの住民からあみなどを借りて、捕獲したという。 トカゲが目撃されてからの4日間、同署は安全のため、小中学生の登下校を見守っていた。けが人は確認されていないという。 同署は、捕獲されたトカゲは、色や大きさなどから23日に目撃された個体と同一とみている。海外に生息する「オオトカゲ」の一種で、ペットとして飼われていたものが逃げ出した可能性があり、署は拾得物としてトカゲを保管し、飼い主を探している。(内海日和) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「捕まって良かった」 少年院でやっと学べた日本語、芽生えた夢
日本の開国を求め、米国ペリー提督が170年前に上陸した神奈川県横須賀市の海岸に久里浜少年院はある。 ここに、日本語での意思疎通が難しい少年を受け入れる「国際科」が設けられ、今年で30年になる。 ブラジル人の少年たちが受けていたのは、小学生新聞の記事を読んで、意見や感想を述べ合う授業だった。 ある少年が選んだのは、家畜の飼育環境の改善についての記事。「広いところで色んなものを食べたり、仲間と遊んだりは、大事なことと思います」。別の少年がこう発言した。「自分たちも自由に行動はできないんですけど……」 先生は穏やかで、生徒たちの表情も明るい。だが、ここは学校ではなく、高い塀に囲まれた少年院だ。 少年たちは背筋を伸ばして座り、発言の前後には大きな声であいさつをする。 日本生まれでも日本語が話せず 久里浜少年院に全国初の国際科が設けられたのは1993年のこと。 その3年前、労働者不足を背景に入管難民法が改正され、日系外国人が定住できるようになった。工場のある地方都市などで主にブラジル人の世帯が一気に増えた。 学齢期の子どもも急増したが、日本語ができない彼らを教育する仕組みは十分になく、学校や社会から疎外されていく少年も現れた。 久里浜少年院は「日本人と異なる処遇上の配慮」を要する男子の施設で、日本語での意思疎通がほぼできない少年も受け入れている。 取材に応じた16歳の少年は日本語で十分に会話ができた。落書きや窃盗など罪を重ね、10カ月ほど前にここへ来た当初は、日本生まれなのに職員とほとんど話が通じなかったという。 小学校の途中でブラジル人学… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル