核兵器禁止条約の第2回締約国会議が27日から米ニューヨークで始まるのを前に、「『核兵器のない世界』をめざして! いま、私たちにできること」と題したシンポジウムが2日、東京都内の会場とオンラインで開かれた。約300人が参加し、核兵器や戦争が一人ひとりの人生を犠牲にする悲惨さを語り合った。 主催は、障害者やその家族らでつくる全国組織「日本障害者協議会」(東京都新宿区)。2015年から毎年、日本国憲法の公布日前後に、憲法と障害者について考えるシンポジウムを開いてきた。核兵器廃絶をテーマにしたのは今回が初めて。 「核兵器をなくして人類の歴史を続けていくか。核戦争が起こって人類が滅亡するか」 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)事務局長の木戸季市(すえいち)さん(83)が、記念講演で問いかけた。 木戸さんは5歳のとき長崎で… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ルヴァン杯、アビスパの「ふく」願う 苦境支えた福岡名物の会社長
苦しい時も支えてきた。大一番で勝つ姿を――。サッカーJ1アビスパ福岡が4日、東京・国立競技場であるルヴァン杯決勝で浦和レッズと戦う。初タイトルをかけた一戦を、特別な思いで見守る人がいる。 「『バイバイ福岡』とか『J2福岡』とかヤジが飛んだんです。当時はどのチームもサポーターが容赦なくて。福岡の街のブランド価値が落ちた瞬間でした」 川原武浩さん(51)は振り返る。2001年、J1残留をかけたアウェー戦でガンバ大阪に敗れる姿を現地で見た。降格が決まり、九州からJ1チームが消滅。元サッカー少年の川原さんは、危機感から応援にのめり込むようになった。 「雪の降る山形で震えながら応援したこともありました」 だが、アビスパは経営も成績もふるわず、数年後にはユニホームの胸や背中のスポンサーロゴがなく、「パジャマ」と揶揄(やゆ)される状態にもなった。 11年のシーズン途中、ユニ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
消えゆくデパートの屋上遊園地 「集客装置」今では全国で5カ所に
百貨店の「屋上遊園地」が各地で姿を消しつつある。今年9月に営業を終えた遊園地もあり、朝日新聞の調べでは、常設するのは全国で5店舗になった。(小島弘之) 松坂屋高槻店(大阪府高槻市)の「スカイランド」は、1979年の百貨店開業時から営業している。今では関西唯一の屋上遊園地となった。 約1200平方メートルの敷地に、ゴーカートやキャラクターの乗り物など約30台の遊具と約10台のクレーンゲームが稼働する。 朝日新聞は10月、日本百貨店協会に加盟する全170店舗を対象に、常設の屋上遊園地があるかを電話で尋ねた。 今も営業をしていると答えたのは、松坂屋高槻店のほか、松坂屋名古屋店(名古屋市)▽大和香林坊店(金沢市)▽いよてつ高島屋(松山市)▽浜屋百貨店(長崎市)の4店舗だった。 このほかにも小規模な遊具コーナーを設けている百貨店があったが、屋上遊園地という認識ではなかった。 近現代史が専門で、百貨店関連の著書があるノンフィクションライター夫馬信一さん(64)によると、屋上遊園地の起源は100年以上前までさかのぼり、1903年に東京・日本橋の白木屋に木馬やシーソーが置かれたことが始まりとされるという。20年代後半以降は新たな百貨店の開業とともに、電動遊具や動物園がある屋上遊園地が新設されていった。 設置が加速したのは戦後の高度経済成長期。百貨店が次々とでき、屋上遊園地も「必須アイテム」のように造られた。 飛行機型のゴンドラが回転する乗り物など、大型の電動遊具も増加。休日には様々なショーが開かれるなどして大盛況だったといい、家族連れの集客装置として大きな役割を果たしていた。 だが、郊外型ショッピングセンターの盛況、バブル崩壊や2000年代の不景気など、百貨店を取り巻く環境は厳しさを増していく。 テーマパークの開園などレジャーも多様化。集客装置としての屋上遊園地の役割は維持費と見合わなくなり、00年前後から徐々に閉園していったとみられる。今では屋上を、ビアガーデンや休憩スペースとして活用する百貨店も増えている。 建て替えや耐震工事などを機に閉園を選択した百貨店もある。大阪・梅田の阪神百貨店(大阪市)の屋上遊園地は、1980年代後半に1日1千組以上の来客数を誇ったが、店舗の建て替えを機に2014年に閉園した。まるひろ川越店(埼玉県川越市)も「耐震工事」に伴って19年に閉園。今年9月には横浜高島屋(横浜市)が営業を終えた。 一方、遊園地をいまだに維持する百貨店の思いはどこにあるのか。 松坂屋名古屋店の屋上遊園地… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「刀剣乱舞」で古民家が映える コスプレ歓迎したら映画ロケが来た
古民家群が点在する公園に、ビビッドな髪色と服装のコスプレイヤーたちを迎え入れた。 それは、コロナ禍から生まれたウィンウィンの関係だ。 大和民俗公園(奈良県大和郡山市)には、江戸時代の民家や町屋、蔵など計15棟がある。うち3棟は国の重要文化財、10棟は県指定文化財だ。 一般の来園者は原則、居室には立ち入れない。 でも、週末のある日。 県指定文化財の一つ「旧前坊家住宅」の渡り廊下を見上げると、青いウィッグを着け、「誠」の文字が入った水色の羽織姿のコスプレイヤーがいた。 日本刀を擬人化したゲーム「刀剣乱舞」のキャラ「大和守安定(やまとのかみやすさだ)」だ。 「あ、いいですね」「これエモい」。離れ座敷に移動し、どっしりと座る裕月さん。ファインダーをのぞく真理奈さんが声をかけていた。 コスプレ撮影は、条件付きで解禁されている。その条件とは、事前打ち合わせや誓約書の提出、破損時の個人賠償責任保険への加入などだ。 この公園で10回以上撮影してきた真理奈さんは、その場の風景を生かした撮影がこだわり。「文化財の中は雰囲気がいい」。保険料以外の料金がかからないのもうれしい。 「職員さんに理解があり、奇抜な格好でも普通に接してもらえる」とも。 コスプレ撮影に温かいのは、なぜか。 古民家群の管理・運営を担当… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
道路の真ん中に黄金の大イチョウ 伐採の危機、住民らが守って半世紀
盛岡市の中心部を流れる中津川のほとりに、一本のイチョウの大木がある。 太い幹の上に、こんもりと生い茂る枝葉。圧倒的な存在感を放って、道路のど真ん中に立っている。 【撮影ワンポイント】上の橋際のイチョウ 道路の真ん中に立つイチョウを目立たせるため、背景は星空にした。天気予報を吟味して快晴の日を選んだが、月明かりが強かった。明るい星しか見えないが、その分北斗七星とカシオペアがわかりやすくなった。イチョウの周りにもアクセントをつけるため、星のように広がる街灯の光芒の大きさを絞り値で調節した。 (小林正明) 推定樹齢118年。盛岡藩の殿様が城下で最初に架けた橋の近くにあるため、「上(かみ)の橋際のイチョウ」と名づけられている。 「盛岡の人が故郷を思い出すとき、心に浮かぶ原風景のような場所です」 近くでカメラ店を営む松本静毅(せいき)さん(70)はそう話す。店には妻の尚子さん(71)が撮影したイチョウの写真が飾られ、絵はがきも売られている。 清流・中津川。そこに架かる上の橋。そしてイチョウの木。この三つが重なる風景は盛岡の宝だという。 だがこのイチョウ、かつて伐採の危機にさらされたことがあった。 今から50年前の1973年… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
V字回復導いた、コロナ禍の招き猫 猫カフェ「ジオラマ食堂」
線路を走る電車の脇で無邪気に遊ぶ猫たち。ビル街を気ままに歩き、走る列車に猫パンチ。三重県伊勢市のテーマパーク「伊勢忍者キングダム」内の猫カフェ「ジオラマ食堂」の風景だ。昨年9月のオープン以来、特撮映画のような動画がSNSで人気を呼び、猫好きが集まっている。 この異色の組み合わせの裏側には、偶然の出会いがあった。開店に携わった寺岡直樹さん(59)は2020年夏、コロナ禍による経営難で、大阪市天王寺区で運営する鉄道ジオラマを楽しめる喫茶店「ジオラマ食堂」の閉店を考えていた。ちょうどその頃、店の近くで子猫4匹と母猫を保護。客のいない店内で自由に遊ぶ様子を動画投稿サイト「ユーチューブ」で流したところ大きな反響があり、感染予防のための行動規制中にもかかわらず猫好きがどっと押し寄せ、経営がV字回復した。 「店を救ってくれた猫たちに恩返しがしたい」。 寺岡さんは店の2階にシェルターを設け、保護猫を受け入れ始めた。そして昨年9月、寺岡さんの活動を知った同テーマパークが寺岡さんを顧問に迎え、シェルターを併設した同様の店を開店した。 これまでに保護した猫は両店合わせて約400匹。うち300匹近くを新しい飼い主に譲渡した。最近では外国人観光客も訪れるほどの人気スポットになったが、寺岡さんは「全く想定していなかった。コロナ禍だったからこそできたお店。譲渡会などを通して出会いの場を提供し続けたい」と話す。(溝脇正) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「この時代は平和か」中学生が考えた 「僕たちの戦争」もとに創作劇
大阪市西成区の市立成南中学校の3年生が、平和と反戦への思いを込めた創作劇を作った。力を入れてきた平和学習の集大成。ウクライナやイスラエル、パレスチナなど戦火が絶えぬ中、平和を願うメッセージを込めた。 2日午前、文化祭が開かれた同校の体育館。舞台が暗転すると、「3年生がこれまで学んできたことの総まとめとして学年劇に臨みます」とアナウンスが流れた。ざわついていた会場が静まりかえり、1時間の劇が始まった。 今年の3年生の代は平和学習に力を入れてきた。 「なぜ原爆や戦争はなくならないのだろう」 5月の修学旅行では被爆地・長崎を訪れた。長崎原爆資料館を訪れたり、被爆の跡が残る場所を歩いて巡ったりした。松田莉奈さん(14)は「原爆が落とされるとこんなに悲惨になるのに、なぜ世界から原爆や戦争はなくならないのだろうと疑問に思った」と話す。 学年主任の増田育子教諭の提案で、夏休みには「平和登校日」が設けられた。今年は、78年前の長崎に原爆が落とされた8月9日。反戦小説「僕たちの戦争」(荻原浩著)が原作となったドラマを鑑賞した。 訓練中の海軍予科練飛行生と… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
バイク運転にご注意 死者36人、40~50代で増 警視庁
バイク(自動二輪と原付き)の死亡事故が増えている。都内では特に40~50代の死者が多く、警視庁はこの世代を対象に講習を開くなど、対策に力を入れている。バイク事故を含む交通事故全体でみても、今年の都内の死者数は100人を超えており、同庁は交通安全を呼びかけている。 4日、同庁交通安全教育センター(東京都世田谷区)では、40~50代に限定したバイクのスクールが開かれた。男女41人が参加し、最近の事故の傾向を座学で学んだ後、実際にバイクに乗って講習を受けた。 ブレーキかけるまで約1秒の時差 急ブレーキをかけるテストでは、大半の参加者が、停止するまでに十数メートル進んだ。指導に当たった白バイ隊員によると、信号や障害物に気付いてからブレーキをかけるまでに、約1秒かかるという。 免許をとって30年以上という、川崎市の会社員男性(55)は「被害者にも加害者にもならないように」と参加。趣味のツーリングでバイクに乗るが、運転技術を教わる機会はあまりないという。自分が思うよりブレーキのかけ方が甘かったと気付いたといい、「今まで以上に車間距離をとりたい」と話した。 今回、同庁が40~50代のバイク乗りを対象に講習を開いたのは、死亡事故の増加傾向が背景にある。交通総務課によると、都内で今年、バイク乗車中の事故で死亡した人は36人(3日時点、前年同期比3人増)で、うち40~50代が20人(同3人増)を占めた。 通勤帯に死亡事故が多発 バイクの死亡事故(1~9月)の発生時間は午前6~10時と午後6~8時が多く、同庁は、通勤時間帯に事故が起きやすいと分析。中年の死亡事故が多い原因は不明だが、担当者は「免許をとってから年月を経たライダーも多く、今まで事故に遭わなかった経験から気が緩むケースもあるのでは」と指摘する。 全体でみると、今年、都内の交通事故で亡くなった人は104人(3日時点、前年同期比2人減)。このうち、50代の死者数が25人(同5人増)と、他の年齢層と比べて多い。 状態別では、バイクのほか、自転車でも死者が前年同期より1人増え、25人だった。今年4月に改正道路交通法が施行され、自転車乗車時はヘルメット着用が努力義務化された。頭への衝撃が致命傷になることがあり、同庁は引き続きヘルメット着用を呼びかける。 例年、年末にかけて死亡事故が増える傾向にあることから、同庁は取り締まりも強化するという。(御船紗子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
密漁疑いの漁船の所有者、遺体で見つかる 海中に転落し溺死か 兵庫
神戸海上保安部は、兵庫県明石市の林崎港の南西約2・3キロ沖合で2日午後、底引き網漁船「明石丸」(4・9トン)を所有する70代男性の遺体が見つかったと4日に発表した。 港付近で10月30日未明、神戸海保の巡視艇が、底引き網漁が禁止されている海域で操業する明石丸を発見。停船させると、船内は無人だった。停船を呼びかけられて海へ逃げたり転落したりした可能性があるとみて、行方を捜していた。 2日午後1時半ごろ、付近を船で捜索していた60代男性が、海に浮かんでいる男性を見つけたという。 神戸海保によると、遺体の司法解剖の結果、10月30日ごろに溺死(できし)したとみられる。カッパのズボンや長靴を着用していて、漁師のような服装だという。 神戸海保は、当時明石丸に乗っていたのはこの男性の可能性があるとみて経緯を調べる。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Toshio Suzuki, producteur du « Garçon et le Héron » : « Miyazaki n’a pas une grande confiance en lui »
« Le Garçon et le Héron », d’Hayao Miyazaki. STUDIO GHIBLI Le producteur Toshio Suzuki est le cofondateur, en 1985, du studio Ghibli avec les réalisateurs Hayao Miyazaki et Isao Takahata (Le Tombeau des lucioles…), qu’il accompagnait depuis de nombreuses années. L’auteur de Dans le studio Ghibli. Travailler en s’amusant (Kana, 2011), qui dirige […]