東京都武蔵野市の松下玲子市長(53)は5日、総理大臣も務めた立憲民主党の菅直人衆院議員(77)の後継として、東京18区から次期衆院選に出馬する意向を明らかにした。市内で開いた支援者向けの集会で「武蔵野市長の経験を生かして、国の政治に挑戦したい」と述べた。 一方、任期を約2年残している市長職については「任期途中で辞めることには、葛藤もあった。申し訳ない気持ちでいっぱい」と近く辞任する考えを示した。 集会では菅氏も登壇し、「松下さんなら異存なく、その後を託して、国政の中でも頑張ってくれるものと確信した」と言及。同じく集会に参加した立憲の蓮舫・参院議員も「(立憲の)都連としても、力強く、バックアップする対応を取りたい」と述べた。 松下氏は、武蔵野市長として… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
新潟市内で柿8400個が盗まれる 収穫目前の枝が切り落とされる
新潟市西蒲区稲島の畑で柿約8400個(約30万円相当)が盗まれたと新潟県警西蒲署に5日、届け出があった。同署は窃盗の疑いで調べている。 署によると、畑の所有者は農業の男性(78)。34本の柿の木が、枝を刃物のようなもので切り落とされて盗まれていたという。一帯は柿畑で収穫目前だった。 男性が10月26日に作業した際には、異常がなかったという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「知らないからこそ挑戦を」 体験イベントでパラ競技をもっと身近に
パラリンピアンらアスリートと一緒に競技を体験しながら、パラスポーツへの理解を深めるイベント「BEYOND STADIUM 2023」が5日、東京都渋谷区の東京体育館で開かれた。親子連れなど約2400人が訪れ、車いすバスケや陸上、ボッチャなど6競技を楽しんだ。 競技以外にもブレード型の義足を装着して歩く「義足体験」や、駅のホームなどにある警告ブロックや誘導ブロックの上を、目を閉じ、杖を使って歩く「白杖(はくじょう)体験」のコーナーも設けられた。家族で訪れ、義足の試着と車いすテニスに挑戦した甲斐稔々耶(ねねか)さん(12)は「義足は人の手を借りないとバランスが取れなかった。競技用の車いすは乗るだけで楽しい」と話した。 子どもたちとシュート練習やミニゲームをした、車いすバスケの橘貴啓選手(37)は「健常者プレーヤーも増えている。障害の有無に関係なく、子どもはフランクに車いすバスケを楽しんでくれる。知らないからこそ体験してほしいし、挑戦してほしい」(伊藤進之介) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
熊本30度の真夏日、福岡・大阪も夏日 各地で11月の最高気温更新
3連休最終日の5日、東~西日本の各地で気温が上がり、熊本市では11月の最高気温を114年ぶりに更新し、30・0度の「真夏日」を記録した。同じく更新した福岡市も29・3度、大阪市も46年ぶりに更新して27・9度と、西日本を中心に多くの地点で、最高気温が25度を超える季節外れの「夏日」となった。 気象庁によると、同日午後4時時点、全国120地点で11月の最高気温(タイ記録を含む)を更新した。東京都心も夏日に迫る23・7度まで上昇した。(中村瞬) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
アパレル起業「生きた証しを」 26歳から闘病、親に秘していた思い
「Re」という名の、小さな小さなアパレルブランドがあった。 肌触りのいいボタンダウンのシャツ、パジャマのように着られるワンピース、サルエルタイプのイージーパンツ。貝ボタンやテーパードの袖、刺繡(ししゅう)のロゴにもこだわりがある。何年も持ち続けたくなる服たちだ。 「Re」は2018年、当時32歳だった大村泰さんが、仙台でたった一人で立ち上げた。 皆からはヤスと呼ばれた。服とサッカーが大好きで、いつも周りに人がいる。そんな若者だった。 神戸大大学院を出て、東京のIT企業で働いていた26歳のとき、白血病を発症。仙台の実家に戻り、骨髄移植に伴う合併症で闘病を続けながらの起業だった。 お気に入りだったブランドのデザイナーに意匠を頼み、生地メーカーや縫製工場とも自ら交渉した。資金は会社員時代の蓄えをあてた。商品ができあがると、フェイスブックなどで宣伝。店舗ではなく、バーやレストランを臨時に借りて、販売会を開く形をとった。 神戸で、東京で、仙台で。仲間がふらりと立ち寄って、服を選び、気に入って知り合いに教えた。それが「Re」の流儀だった。 軌道に乗せる 神戸転居の直後に…… ブランドをいよいよ軌道に乗… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「お父さんの遺骨」探し南の島へ 82歳、戦没者遺児の終わらぬ戦争
太平洋戦争で出征した父を失い、国内外で旧日本兵の遺骨収集活動を続ける女性がいる。岡山県笠岡市の秀平良子さん(82)。7月には激戦地だった南太平洋のパラオで35人分を探し出した。 父は帰らぬままだが「私たち戦没者遺児にとっては、すべてが父の遺骨」。そんな気概が自身を突き動かす。 7月17日からの約2週間、パラオのアンガウル島へ。国から遺骨収集を受託した一般社団法人「日本戦没者遺骨収集推進協会」のメンバーとして、約20人で訪れた。同島では約1200人の旧日本兵が死亡したとされる。 丁寧に泥を落とす、写真やたばこケースも 今回は米公文書館の資料で358人の埋葬が確認されている28メートル四方の砂地で着手した。重機は使わず、現地のボランティア十数人も加わってスコップで1~2メートル掘り起こすと姿を現した。 高温多湿の土地柄のせいか… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
阪急京都線に33日間だけの幻の駅 「新京阪電車研究家」が探った
33日間だけの「幻の駅」が、大阪府吹田市にかつてあった。その駅は、阪急京都線について書かれた数冊の本に登場する。一体、どこにあったのか――。 ある男性が、この謎に迫った。阪急京都線沿線にある京都府大山崎町で生まれ育った、林宏祐さん(32)。本職は、フリーでコンベンション運営の仕事をしている。そして、阪急京都線をかつて運行していた「新京阪鉄道」にひかれ、「新京阪電車研究家」と名乗っている。 林さんがずっと気になっていたという幻の駅。それは「吹田観音前駅」だ。 書物を調べると、ある本には、臨時駅として「上新庄―相川間に設けられた」と書いてあった。 ただ、阪急京都線の上新庄駅と相川駅は、いずれも大阪市東淀川区で、吹田市ではない。 さらに駅間は1キロほどと短い。この距離で臨時駅を設けるだろうか。 深まる謎。林さんは東京の国立公文書館まで行き、臨時駅設置の届け出書類を確かめることにした。 新京阪鉄道の書類を片っ端から見た。 見つけた――。「吹田観音前駅」の届け出だ。 1941(昭和16)年のものだった。 設置は3月10日から4月1… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
古いフィルムから「よみがえる声」 視力を失った監督と娘の「革命」
車いすに乗った母と、車いすを押す娘がレッドカーペットの上を歩いていた。約1万人の大歓声に包まれるなか、病気で目が見えない母は懸命に手を振って応える。娘の目には涙が浮かんでいた。 母とは、在日朝鮮人2世の映画監督、朴壽南(パクスナム)さん(88)=神奈川県茅ケ崎市。娘は、長女の麻衣さん(55)だ。 10月、韓国・釜山で開かれたアジア最大級の「釜山国際映画祭」の最終日。2人が監督を務めた新作映画「よみがえる声」が、ドキュメンタリー競争部門で最優秀賞を受賞した。 「この作品を見た瞬間、ある存在を破壊する力を感じた」 映画「ゆきゆきて、神軍」などの代表作があり、映画祭で審査委員を務めた原一男監督は授賞の発表でこう述べた。 「よみがえる声」は、壽南さんがかつて撮影した在日1世らの証言映像をデジタル化し、その過程をまとめた映画だ。 壽南さんの自宅には、16ミリフィルムで約40年前から撮りためてきた約50時間に及ぶ膨大な映像が保管されていた。 広島と長崎で原爆被害に遭った朝鮮人、徴用工、朝鮮人元軍属、日本軍の「慰安婦」にされた女性……。 12歳の時に広島で被爆し… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
住宅火災で焼け跡から2人の遺体、3人が救急搬送 神奈川・南足柄
5日午前6時ごろ、神奈川県南足柄市千津島で、「隣の家から火が出ている」と近隣の住民から119番通報があった。松田署や小田原市消防本部によると、志村孝治さん(48)方木造2階建て住宅が全焼し、焼け跡から志村さんの妻の恵美さん(45)と、性別年齢不詳の2人の遺体が見つかった。このほか、志村さんと次男(16)、長女(11)の3人がけがをして病院に救急搬送されているという。3人は命に別条はない。 署によると、住宅には家族5人が住んでおり、10代の長男と連絡が取れていないという。署は遺体の身元の確認を進めている。 現場は、小田急線開成駅から約2・5キロの住宅と田畑が入り交じった地域。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「なんで置いていくの」学習帳ちぎった手紙、30年後の母の「返信」
ガサッ。 関西地方にある古びた木造アパートのドアノブに、ポリ袋が引っかけられた音が聞こえる。 お母さんが週に一度、帰ってきた合図だ。 周りの大人に聞くと、仕事以外の時間は男性の家にいるらしい。 袋の中にはわずかな食料。食べ盛りの子ども3人にとって、おなかがいっぱいになる量じゃない。 だから、小学3年の長女は小学1年の弟と一緒に、部屋に落ちている小銭を何度も探し集めた。 15円を握りしめて、近くのパン屋さんへ。パンの耳を買い、4歳の妹と3人で分け合った。 薄暗い6畳2間には、似つかわしくないほど立派な仏壇があった。 本当におなかがすいた時、引き出しにあるお布施用の現金にも手を付けた。お母さんに気付かれると、ひどく叱られた。 少し前に離婚したお父さんにお金をもらいに行ったり、公園でベンチに座るおっちゃんたちの話し相手になって、飲み物を買ってもらったりもした。 こんなにひもじいのに、お母さんはなんで帰ってこないんだろう。 国語の授業で書いた詩を、お母さんが褒めてくれた時は、うれしかったな。 字なら気持ちが伝わるかも。 学習帳をちぎった切れ端をたたんで、手紙を書いた。 『なんでお母さんは私らを置いていっても平気なの?』 『(宗教の)教えとはちがうことをしているんじゃないの?』 20通以上、お母さんが必ず確認する仏壇の引き出しに入れた。 手紙は毎回なくなっていた。でも、返事は一度もなかった。 そんな暮らしが1年近く続いたあるとき、妹が「パンの耳、あきた」と泣き出した。 たたかれたドア、その先にいた人は パン屋に並ぶ色とりどりのジ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル