Une partie du Japon, vu de l’espace, en 2005. HO / AFP « Géopolitique du Japon. L’empire insulaire », de Philippe Pelletier, PUF, « Géopolitiques », 252 p., 14 €, numérique 10 €. Objet d’un engouement médiatique, la géopolitique, discipline traitant de l’interaction entre la géographie et les relations internationales, a souvent tendance à négliger l’histoire […]
【写真まとめ】上皇さま、あす90歳 在位中は被災地へ、慰霊の旅も
上皇さまが23日、90歳の卒寿を迎えます。上皇さまは1933(昭和8)年生まれ。59年に上皇后美智子さまと結婚、60年には浩宮さま(現在の天皇陛下)が誕生しました。 89年、昭和天皇の逝去に伴い即位。象徴天皇として国民に寄り添う姿勢を貫きました。 2019年4月30日の退位まで、戦没者慰霊のため、沖縄県など国内各地の他、サイパンやパラオ・ペリリュー島など海外も訪問。11年の東日本大震災など、大きな災害の被災地には美智子さまと足を運び、被災者を直接お見舞いしました。 この1年では、5月に美智子さまと京都府、奈良県を訪問しました。 これまでの歩みやご家族とのだんらんの様子を写真で紹介します。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
放課後デイ13歳死亡、施設職員を書類送検 不適切な管理体制浮かぶ
大阪府吹田市の放課後等デイサービス施設で安全管理を怠り、中学1年の男子生徒を死亡させたとして、府警は22日、男性職員(48)を業務上過失致死の疑いで書類送検し、発表した。起訴を求める「厳重処分」の意見を付けた。 死亡したのは豊中市の清水悠生(はるき)さん(当時13)。捜査1課によると、職員は昨年12月9日、「デイサービスアルプスの森」で送迎車から清水さんを降ろす際、他の職員を呼ぶなどの注意義務を怠り、清水さんを施設外に飛び出させ、川で溺死(できし)させた疑いがある。 清水さんは自閉症や知的障害などと診断され、突発的に走り出すほか、水に強いこだわりがあった。職員はこうした特性を把握しており、他の職員と計2人で対応しなければ、事故が起こると予見できたと府警は判断した。職員は容疑を認め、「2人で対応すべきだとは思っていたが、(施設代表らに)言えなかった」などと話したという。 施設代表の宇津慎史(60)と、兄で職員の雅美(65)の両容疑者も業務上過失致死容疑で逮捕されている。 一連の捜査の中で、不適切な管理体制も浮かび上がってきた。清水さんは2018年3月と19年12月にも施設から飛び出し、川に近づくなどした。しかし、施設ではこうした事実について職員に口止めしたうえ、保護者らに伝えていなかったという。また清水さんの死後、施設側は送迎時のマニュアルを市に提出したが、作成は事件後だったことが判明。保護者の署名を偽造し、支援計画の書面などを作っていたという。(甲斐江里子、田添聖史) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
さいたま市PTA協議会、全国組織退会へ 「ガバナンス機能せず」
さいたま市PTA協議会(市P協)が、全国組織「日本PTA全国協議会」(日P)から今年度いっぱいで退会することがわかった。市P協の郡島典幸会長は取材に「今後は各校のPTAへの支援などに重点を置き、退会による不利益がないようにしていく」と話している。今後退会届を出す。 20日の理事会で全会一致で可決した。 日Pには全国のPTA組織63団体が加盟し、会員数は約750万人。市P協は市内の公立小中学校158校が加盟し、昨年5月時点の会員数は約10万人だ。 退会理由について、市P協は… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
上皇さま、卒寿となる90歳に 出会いを大切に、国民生活に心配る
多田晃子2023年12月23日 0時00分 【動画】12月23日に90歳の誕生日を迎えた上皇さま=宮内庁提供 上皇さまは23日、卒寿となる90歳の誕生日を迎えた。宮内庁によると、国内外でのこれまでの出会いを大切に、上皇后美智子さまとともに交流を続け、国民や平和に思いを寄せているという。 在位中の1997年のブラジル訪問を機に、現地の学校の生徒から毎年、日本語の作文が送られている。今年も届いた運動会の案内状や作文集にお二人で楽しそうに目を通し、側近を通じて学校に礼状を送ったという。また、かつて静養先で訪ねた農家の人々との再会を楽しんだほか、85年の外国訪問時に対面して交流が始まった日本人ピアニストの演奏会を訪れた。 お二人で規則正しく穏やかに過ごし、沖縄や平和への思いは今も強く、関連の展示に足を運ぶ。琉歌や琉球舞踊など沖縄の文化や歴史をはじめ、ハンセン病療養所などを訪問した思い出、疎開中の生活などがよく話題に上るという。 朝夕の新聞やニュースを見て国民生活に心を配り、地震が発生すると、テレビの速報で被災状況を確認する。被災地のその後を心に留め、とりわけ原発事故による放射能汚染でいまだ帰還困難者がいる福島県の状況を案じている。今年の宮城県石巻市内の神社での東日本大震災物故者慰霊祭では、お二人が天皇、皇后両陛下時代に被災者に思いを寄せて詠んだ歌を歌詞とする祭祀(さいし)舞が奉奏され、後に届けられたDVDでその様子を見たという。 アフガニスタンなど、訪問当時と社会情勢が一変している国について、外部の識者から説明を受けたこともあるという。 夕食後は側近と話をすることに加え、最近はオセロや将棋を楽しむこともある。 昨年7月に診断された三尖弁(さんせんべん)閉鎖不全による右心不全は、現在も心不全の診断指標であるBNP値がやや高く、少量ながら胸水貯留も認められるが、薬の服用や水分の摂取制限などの内科的治療により昨年末以降、比較的安定した状態が続いている。 学友で学習院中・高等科で同級だった織田正雄さん(89)は、上皇さまは若い頃から「日本人全員のための天皇だ。皆に公平でなければならない」と繰り返し話していたといい「非常に強い責任感のもと、国民に心を寄せるため、国民の生活を理解しようと努力をされていた」と話す。織田さんは「退位されて安心されているのでは。これからも健康に気をつけて過ごしてもらえれば」と話す。(多田晃子) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
上皇さまが退位後も励むハゼの分類研究 論文の再検討、熱意変わらず
最新式の顕微鏡や数々の標本が並ぶ皇居内の生物学研究所。ここが上皇さまの研究拠点だ。 上皇さまは、ハゼ科魚類の分類に関する研究を長年続けてきた。 「時間にとらわれないで、これまでに発表した論文を見直すことも必要ではないか」 研究を支える一人、上皇職御用掛の林公義(まさよし)さん(76)によると、上皇さまは退位後、そんな考えを話したという。年齢を考慮し、新たな研究テーマを選択するのではなく、現在は、発表した論文の再検討に力を注いでいる。 毎週月曜と金曜は皇居内の生物学研究所でそれぞれ約3時間半、水曜はお住まいの仙洞御所の研究室で約2時間研究する。毎回、林さんかもう一人の専門官が同席し、国内外の論文を確認したりハゼの標本を顕微鏡で観察したりする。 昨年から課題を①チチブとヌマチチブの分類・生態学的研究②日本産クモハゼ属の分類学的研究に絞った。チチブとヌマチチブは、鰾(うきぶくろ)の形状やひれの動きと遊泳行動との関係を明らかにし、標本の形質的観察に加え、他の研究者の協力を得てCTスキャンによる骨格構造解析も取りいれるなど手法を広げて研究する。両種の生息環境の違いを確認するため、2河川に生息する両種のすみ分けに関する野外調査の結果も検討する。かつて1980年に論文の共著者と発表した日本産クモハゼ属6種の分類形質が、その後10種に増えたことから当時の記載内容を再検討している。 自身の目で確認しないと納得せず「今の話はどの文献に載っているのか」と尋ね、疑問が解消しないと次の段階には進まない。時には、モニター画面の前で立ったまま標本写真の映像を見て議論することもあるという。 最近は顕微鏡につないだモニターで標本画像を拡大するなど工夫を凝らす。 林さんとは50年以上親交がある。林さんが神奈川県の横須賀市博物館(現在の同市自然・人文博物館)の学芸員をしていた70年、上皇さまの弟の常陸宮さまが同館を訪問。自己紹介で林さんがハゼ科のヨシノボリの生態調査をしていることを伝えたところ、「皇太子殿下(上皇さま)がハゼの研究者であるのを知っていますか」「お会いになったことはありますか」と尋ねられ、「今度、皇太子殿下にお伝えしておきます」と伝えられた。 また、林さんが所属していた大学のクラブ活動の卒業生に、皇太子時代の上皇さまの魚類研究をサポートする職員がいたことから、赤坂御用地に足を運ぶように。同年に東宮御所(当時)で皇太子時代の上皇さまと初対面して以降、葉山御用邸(神奈川県)での静養中に散策に同行したり、海で一緒にハゼの採集をしたりするなど交流が続いた。研究材料も度々提供。沖縄・石垣島で採集したハゴロモハゼは、国内では初記録となることから、研究仲間とともに献上して和名をつけてもらった。2018年4月から侍従職御用掛、19年5月から上皇職御用掛として研究を支えている。林さんは「研究に対する熱意は少しも変わらない。これからも楽しみながら続けて頂きたい」と話す。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
沖縄知事、辺野古設計変更を不承認方針 国は前例のない「代執行」へ
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画で、新たな区域の埋め立てのため防衛省が申請した設計変更を承認するよう県に命じた福岡高裁那覇支部判決をめぐり、県は25日の期限までに承認しない方針を固めた。国は県に代わって承認する「代執行」を年内にも行う見通しで、来年1月にも県が埋め立てを認めていない区域で工事が始まる。 国が地方自治体の事務を代執行した事例は過去にない。国と地方の関係を対等と位置づけた地方自治法の理念を損なうとの批判も出ている。 代執行は、期限内に玉城デニー知事が設計変更を承認しない場合に行われるもので、判断が注目されていた。玉城氏は代執行訴訟で、知事選や県民投票で示された埋め立て反対の民意を尊重するよう訴えており、20日の判決後も「到底容認できるものではない」と強く反発していた。最高裁へ上告する方向で最終調整している。 高裁支部判決は、設計変更の承認を拒み続ける玉城氏の対応を放置すれば、「普天間飛行場の危険性の除去がされず、または大幅に遅延する。社会公共の利益を侵害する」と判断。承認する法的義務が確定した9月の最高裁判決に従わないことは「憲法が基本原理とする法の支配や法治主義の理念を著しく損なう」などと指摘した。 玉城氏は「沖縄県民が示す明… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
車椅子転倒、男性死亡させた疑い 大阪・西成署員2人を書類送検
大阪府警は22日、いずれも西成署生活安全課の男性巡査長(27)と男性警部補(49)を業務上過失致死の疑いで書類送検し、発表した。検察に起訴の判断を委ねる「相当処分」の意見を付けた。 捜査1課によると、2人は10月7日、男性(62)を車椅子に乗せて移動中、7階建て集合住宅の1階エントランスで、計20・5センチの段差を見落とし、男性を前方に転倒させ、11月24日に脳挫傷による誤嚥(ごえん)性肺炎で死亡させた疑いがある。 男性は10月6日に泥酔した状態で署に保護された。転倒は、翌7日に署員5人で自宅に送り届けようとしていたところだった。周辺の防犯カメラには、男性が直前の5~6日、路上などで約10回転倒し、頭を打つ様子などが映っていたという。(甲斐江里子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
警察官が不倫相手に「妻にばれた」とうそ 50万円を要求、懲戒処分
兵庫県警の30代男性巡査部長が、不倫相手の警察官に「妻に不倫がばれた」とうそをつき、慰謝料をだまし取ろうとしたとして、減給3カ月(10分の1)の懲戒処分を受けていたことが22日、朝日新聞の情報公開請求でわかった。11月17日付。県警は同日付で詐欺未遂の疑いで書類送検した。 監察官室によると、巡査部長は東播方面の署に勤務していた昨年11月ごろから、別の署に勤める独身の20代女性巡査と不倫関係になった。 今年2月ごろ、「妻に不倫がばれて慰謝料の請求がきている」と巡査に伝え、不倫関係の終わった4月ごろ、妻が巡査に要求してきたとする慰謝料50万円の支払いを求めた。 「お金を払ってくれたらもう連絡せんから」「連絡なかったら(巡査の勤務先の)署に直接連絡する」といった内容の電話やメールも繰り返していたという。 巡査部長は2月に離婚したが妻は不倫を把握しておらず、実際には慰謝料は発生していなかったという。 巡査は支払いを拒否し、上司に相談して発覚した。 巡査部長は県警に対し「だます意図はなく、自分に対する迷惑料として要求した。迷惑をかけて申し訳ない」と説明したという。 中学生踏みつけた警官も また県警は、職務質問の際に男子中学生を転倒させ、上半身を2~3回踏みつけたとして、阪神方面の署の50代男性巡査部長を11月21日付で本部長訓戒の処分にし、特別公務員暴行陵虐容疑で書類送検した。巡査部長は依願退職した。 職務質問の直前にいったん逃げられたことから「少年の態度に腹が立って、やりすぎました」と話しているという。少年にけがはなかった。(杉山あかり) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
渋谷暴動で大坂被告に懲役20年 半世紀前の調書「核心部で信用性」
1971年11月に起きた渋谷暴動事件で、警察官を殺害したとして殺人などの罪に問われた過激派「中核派」の構成員・大坂正明被告(74)に対し、東京地裁は22日、懲役20年(求刑無期懲役)の判決を言い渡した。被告は無罪を主張していたが、判決は、被告を警察官殺害の実行犯の一人と認め、起訴された全ての罪について有罪とした。 高橋康明裁判長は、警察官殺害について「無抵抗の被害者に多数の者が一方的に苛烈(かれつ)な暴行を加え、火炎瓶を投げつけた犯行は残虐かつ非道だ」と指摘。72年に指名手配された被告が長年逃亡を続けたことも「45年以上中核派の支援で逃走を続けた。厳しい非難を免れない」と述べた。被告側は即日控訴した。 判決によると、大坂被告は71年11月14日、東京都渋谷区であった沖縄返還協定に反対するデモに参加。新潟県警から派遣され、警備していた中村恒雄巡査(当時21)を他のデモ参加者と殺意を持って鉄パイプなどで多数回殴り、共犯者が投げつけた火炎瓶によるやけどで死亡させるなどした。 半世紀前の調書の信用性を判断 公判で大坂被告は「殺害現場… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル