昨年1年間に全国で交通事故で亡くなった人は2610人だった。前年より26人(1・0%)減少し、統計を取り始めた1948年以降の最少を6年連続で更新した。警察庁が4日発表した。政府は25年までに死者を2千人以下にする目標を掲げている。 警察庁は交通事故死者減少の要因として、官民が連携した事故防止の取り組みなどを挙げる。コロナ禍で外出自粛が続いた2020年と21年に比べ減少幅は小さくなったが、同庁はコロナ禍の影響について「今後分析する」としている。 昨年の都道府県別の死者数は大阪が141人(前年比1人増)で初めて全国ワーストとなった。次いで愛知137人(同20人増)、東京132人(同1人減)、千葉124人(3人増)、兵庫120人(同6人増)の順で多かった。最少は鳥取の14人(同5人減)。人口10万人あたりでみると、岡山の3・94人が最多で、最少は東京の0・94人だった。 65歳以上の高齢者の死者数(速報値)は1471人で前年より49人(3・2%)少なかったが、全体の56・4%を占めた。 交通事故の死者数は1970年にピークの1万6765人に達した。減少と増加傾向のあと、96年に1万人を下回ってからは減少傾向が続いている。警察庁は、国民の交通安全意識の高まりのほか、衝突被害軽減ブレーキ(自動ブレーキ)といった車の機能や性能の向上など、さまざまな要因があるとみている。 全国の交通事故の発生件数(速報値)は前年比1・3%減の30万1193件、負傷者数(同)は1・6%減の35万6419人だった。(編集委員・吉田伸八) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
甘辛い「くぎ煮」、春の風物詩 材料のイカナゴ、夏はどうしている?
永田豊隆2023年1月4日 16時00分 甘辛い味付けで知られる兵庫県の郷土料理・イカナゴのくぎ煮。毎年春、大阪湾や播磨灘では、稚魚をとる新子(しんこ)漁が風物詩となっている。しかし、夏以降、この魚は海の中でどうしているのだろう。 いかなごのくぎ煮振興協会(神戸市)によると、イカナゴは冷たい水を好み、動物プランクトンを餌にして活動する。2~3月ごろ新子漁が終わってからも成長を続け、6~7月には体長10センチほどになる。ただ、このころには水温が上昇して20度を超えるため、イカナゴは海底の砂に潜って活動を停止する。 これを冬眠ならぬ「夏眠」という。その間は5カ月以上も餌を食べない。 12月ごろに海水温が13度ほどに下がると動き出し、砂に卵を産みつける。ふかした稚魚が3~4センチに育つ春先、新子漁が始まる――というのが1年のサイクルだ。おいしいくぎ煮をつくるにはイカナゴの鮮度がカギといわれ、神戸港や播磨灘沿岸部では、とれたその日に大鍋でしょうゆや砂糖とともに炊く家庭が多い。軒先から香ってくる甘辛い香りも春の風物詩だ。 ただ、近年、漁獲量の激減が続いており、原因として海の栄養塩不足が指摘されている。同協会事務局長山中勧さん(56)=伍魚福社長=は「郷土の食文化を守るためにも、自治体とも協力して対策に取り組みたい」と話している。(永田豊隆) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
餅の事故で9人搬送、1人死亡 東京都内、元日からの3日間で
遠藤美波2023年1月4日 12時31分 年明けの1~3日の3日間に、東京都内(稲城市と島嶼〈とうしょ〉部を除く)で28~93歳の男女9人が餅をのどに詰まらせて救急搬送されていたことがわかった。東京消防庁が4日発表した。このうち90歳代の女性1人が死亡し、60~90代の男女5人が心肺停止状態になるなど重い症状だという。 同庁によると、搬送されたのは20代が1人、60代が1人、70代が3人、80代が2人、90代が2人。亡くなった90代女性は渋谷区内の自宅で3日午後4時ごろ、お汁粉を食べた際に餅をのどに詰まらせ、搬送先の病院で死亡が確認された。 また、1日には日野市内の自宅でお雑煮の餅を食べた80代男性が餅を詰まらせ心肺停止状態になった。西東京市内でも70代男性が自宅で餅を食べてのどに詰まらせ、心肺停止の状態で病院に搬送された。 窒息事故を防ぐ方法として、同庁は①食べやすい大きさまで餅を切る②ゆっくりかんでからのみ込む③乳幼児や高齢者と一緒に食事する際は注意を払う④応急手当ての方法をよく理解しておく――といった点に気をつけるよう呼びかけている。(遠藤美波) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
新駅名「名古屋城」が仕事始め、旧駅名の「市役所」職員らも心機一転
山下寛久2023年1月4日 13時00分 名古屋市営地下鉄名城線に4日、「名古屋城駅」が誕生した。名古屋城や市役所、愛知県庁などの最寄り駅で、これまでの名称は「市役所駅」だった。駅を使う市職員らも、新駅名とともに気持ちを新たに「仕事始め」を迎えた。 この日も午前7時すぎから、スーツ姿の職員らが次々と駅を出て、職場に向かった。守山区に住む市教育委員会の中村敏明さん(62)は「ちょっと新鮮な感じ。他の地域から来た人にもわかりやすいと思います。忙しい毎日ですが、健康第一でいい年にしたいです」。緑区に住む消防局の谷井修さん(53)は「コロナで指令も救急も忙殺されている。早くおさまるといいな」と話した。 城門を模した出入り口前では記念の催しがあり、筆書き風の駅名の木製看板も登場した。 市交通局によると、名古屋城駅は1965年、現在の名城線開通と同時に開業し、名古屋の官庁街に位置する。今回、観光客に知名度のある名古屋城の位置をわかりやすく案内するため、改称を決めたという。(山下寛久) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
サザンの歌詞には「海」より「雨」が多い 大学院生は意味を探った
修士論文のテーマに選んだのは「夏」でも「海」でもなく、「雨」だった。 鈴木敦真さん(33)は大学院で表象文化論を学んでいた9年前、研究テーマにサザンオールスターズを採りあげた。 サザンの公式ホームページに登載された歌詞を検索したところ、最も使われていた言葉は136曲に登場する「夏」。その次に多かったのが、86曲で使われる「雨」だった。 81曲の「海」より多いのが意外だった。 曲を聴きながら、サザンの「雨」は「過去を想起させるもの」ではないか――。こんな仮説を立てた。 2014年に提出した論文のタイトルは「歌における『雨』の表象について」。 たとえば、桑田佳祐さんがソロで02年に発表した「東京」の歌詞は、雨が窓にあたる情景で始まる。 だが、雨を描いているのは歌… この記事は有料記事です。残り1297文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「足かせ」だった宗教 自ら命絶った父、そして私はムスリムになった
目覚まし時計の音で目を覚ますと、外はまだ暗い。決まった方向に向かって礼拝する時間だ。そして、父のことを思う――。 大阪に暮らす女性(32)は、そんな生活を始めて1年以上経つ。イスラム教に改宗してからだ。 両親はある新興宗教の熱心な信者だった。「道場」と呼ばれる施設で出会って結婚したらしい。 「お参りをしなさい。罰が当たる」。これが父の口癖だった。 小学生だったある日、足にけがをして帰った。すると母は言った。 「ご先祖が怒っているのよ。神様に謝りなさい」 なんで私が悪いの――。 貧乏な家庭で、夫婦仲も良くなかった。 父は小さなことですぐ怒鳴る人だった。部屋が汚いと、母に向かって怒鳴り散らしていた。 「幸せを求めて信仰するはずなのに、うちの家庭は全然幸せじゃない」 幼心に、そう感じた。 手放した金色のお守り 本気で死ぬことを覚悟した 中学生になり、ダンスを始めた。踊っている時は全てを忘れられる。ダンスの専門学校に通い、仕事にしたいと思った。 もっと自由に生きたい。宗教が自分にとって足かせだと気づいた。 信仰の証しとして、金色のお… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
倍速社会の「分断」乗り越えたい 池松壮亮さんがSNSをしない理由
映画やドラマを早送りで見る「倍速視聴」や、興味あるシーンだけを見る「飛ばし見」などが若者を中心に広がっています。この風潮を作り手側はどうみるのでしょうか。「ラストサムライ」で映画デビューし、32歳にして20年以上のキャリアがある俳優の池松壮亮さんは、「この仕事をしていなければ自分も倍速で見ていただろう。そういう想像力を失いたくない」と語ります。 いけまつ・そうすけ 1990年、福岡県出身。10歳のときミュージカル「ライオンキング」で舞台初出演、2003年公開の「ラストサムライ」で映画デビュー。近年の映画に「夜空はいつでも最高密度の青色だ」「君が君で君だ」「斬、」「宮本から君へ」。ドラマは「オリバーな犬、(Gosh!!)このヤロウ」など。映画「柳川」が12月30日から全国で順次公開中、23年3月に主演映画「シン・仮面ライダー」が公開される。 ――倍速視聴や飛ばし見について、どう考えますか。 作品を提供する側としては、悲しいと思いますが、同時に「仕方ない」とも思います。自分もこの仕事をやっていなかったら、多分倍速で映画やドラマを見て楽しんでいると思いますね。 ――なぜですか。 資本主義が行き過ぎた結果、あまりにも大きな格差が広がったじゃないですか。あらゆることが自己責任で片づけられる不寛容な世界になってしまった。 そんな現代では、職場でも家庭でも人々は常に何かに追われていて、とても忙しい。映画を倍速で見るのは仕方ないと思います。そういう感覚は忘れたくないです。 作り手側からみた倍速視聴 倍速視聴が広がる時代、映像の作り手側はどうするべきかーー。記事の後半では、多忙な日々をおくる池松さんの時間の使い方や、SNSを一切使わない理由などについてききました。 ――作り手側は、どういう心… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
再び脚光を浴びるデコトラ、東京パラ開会式にも登場 発祥の地は
一昨年夏、国立競技場で開かれた東京パラリンピックの開会式。布袋寅泰さんや車いすのギタリストたちが登場したロックショーの中心で、1台のトラックが光彩を放っていた。 黄色や青、緑に輝く電飾、屋根には翼のような飾りがあり、荷台には大きな浮世絵が描かれている。いわゆるデコレーショントラックだ。 デコトラといえば、1975年初公開の映画シリーズ「トラック野郎」。故・菅原文太さん演じるトラック運転手・星桃次郎が各地を旅する人情物語で、愛車「一番星号」の格好よさに全国のトラック運転手がしびれ、ブームが起きた。 その「発祥の地」を名乗るのが、全国有数の水揚げ量を誇る八戸港があり、豊富な海産物を全国に送り出している青森県八戸市だ。 飾りに込めた「鼓舞」と「見え」 隣の階上町で運送会社を営む夏坂照夫さん(70)は、いち早くトラックの「デコ」を始めたことで知られ、「トラック野郎」の撮影にも関わった。 年齢の離れた義理の兄がトラックを持っていて、正月になると車体に国旗や飾りをつけているのを見て、憧れた。県内では70年ごろにはすでに多くのデコトラが走っており、全国の配送先で話題になり、広がっていったという。 自身も20歳ごろに初めて中古トラックを手に入れると、車体に「八戸港」の文字を入れ、運転席の屋根の上に「第七港町急送」と書いたあんどんをつけた。その後も、家具屋を回ったり廃車の部品を探したりして、自分好みのパーツを見つけ、飾りを増やしていった。「国産高級車が1台買えるぐらいの費用はかけた」という。 「『客に必ず荷物を届ける』。飾りは、自分を鼓舞するためであり、周りへの見えでもある」と話す。 八戸市ではデコトラとの縁をアピールしようと、2017年に全国から160台のデコトラを集め、装飾の完成度を競う「デコトラ祭り」を開催。21年には市美術館が写真展を開いた。 地元の愛好家団体も、朝市で知られる八戸港の館鼻岸壁で、定期的にデコトラを展示している。 【動画】「発祥の地」に集結したデコトラ=古庄暢撮影 約5年前から毎週、デコトラで朝市に通っている「常勝丸船団青森支部」の高田誠支部長(55)は、「自分の飾りを朝市に来た人に見て、楽しんでもらいたい」と話す。 「八戸デコトラ愛好会」は今年4月から週末の夜にデコトラを集めた催しを館鼻岸壁で開き、その様子をSNSで紹介している。 代表の下田幸税(こうえつ)さん(38)は「トラックはどこか怖いイメージを持たれがち。親しみを持ってもらえたらうれしい」と言う。 しかし最近は、派手なデコト… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
人種も社会的に作られた 分類したがる私たちは差別をなくせるのか
差別や分断はどのように生まれ、なぜなくならないのか。長年、人種差別の問題を見つめてきた文化人類学者の竹沢泰子さんは、「社会的に作られた」考え方にこそ注意を促します。私たちは、なぜ何かを分類したり区別したりしてしまうのか。社会を前に進めていくには、どうすればいいのでしょうか。 たけざわ・やすこ 1957年生まれ。筑波大学助教授などを経て京都大学人文科学研究所教授。近刊に「アメリカの人種主義」。共編著に「人種神話を解体する」(全3巻)。 ――なぜ、世界で差別が続き、分断が起きているのでしょう。 「いま起きている差別や分断には色々な種類がありますが、共通しているのは、現在だけを切り取っても理解できないことです。欧米での移民・難民をめぐる問題、グローバルサウス(主に南半球の発展途上国)の貧困や飢餓、環境破壊といった問題も、いまだけ、起きている空間だけを見ても理解できません」 「旧宗主国や先進国が、植民地主義やグローバル資本主義のもとで長年、労働力や資源を搾取してきたことが一つの要因です。私たちが捨てたゴミが輸出されたり、安い服が奴隷的な労働環境で生産されたりと、日本も無関係ではありません」 ――人種による差別も、世界中で残っています。 「そもそも人間を、皮膚の色などの外見的な特徴で複数の人種に生物学的に分類できるとする考え方は、現在では科学的に否定されています。そうした特徴は人類がアフリカを出たあと各地の環境に適応する過程でできたもので、あくまでも人類は連続体であり、単純にいくつかには分類できないことが遺伝学や生物人類学などの発展で明らかになっています。能力・気質に関する特性が、世代から世代へと集団単位で継承されるというのは誤った考え方で、社会的に作られたものです」 ――日本人は「黄色人種」ではないのですか。 「多くの日本人や東アジア人の肌が黄色だという認識も、近代以降に欧米から入ってきたものです。例えば1600年前後の南蛮びょうぶを見れば、日本人の女性や侍の肌は、南蛮人と呼ばれたスペイン人やポルトガル人より白く描かれています。他方、屋外労働者の肌は茶褐色で、ヨーロッパ人は衣服や髪、鼻や目の形で描き分けられており、肌の色が『ちがい』の指標ではありませんでした。宣教師たちもローマに『日本人の肌は白い』と報告しています」 「黄色いとされるのは明治以降です。ヨーロッパには『白』が善・清浄を、『黒』が邪悪・汚れを意味する用法が、すでに14世紀にありました。『黄色』には伝統的に、嫉妬深い・臆病・反逆者といったネガティブな意味があります。日本が欧米から受容した人種分類には、白人を最高位に、黒人を最下位に置き、その間に黄色を置くという差別的な序列があったのです」 「ですから日本人が『黄色』というのは、時間軸でも近代以降ですし、空間軸でも欧米から発信されたものに過ぎません。アフリカやアジアには、日本人や中国人を『白い』、ヨーロッパ系を『赤い』と認識する集団もあります」 ――科学的とされていた人種分類は、どうできたのでしょう。 「啓蒙(けいもう)主義の時代のヨーロッパで始まりました。当時の博物学者たちは、あらゆるものを色や形、大きさで分類しました。しかし、人間の分類の方法や呼称には、ユダヤ・キリスト教の世界観と自民族中心主義的な考え方が反映されています。人種概念は、世界諸地域での先住民支配や、アフリカ人を使った奴隷制などの正当化に使われました」 ――そもそも、なぜ私たちは物事を区別し、分類するのですか。 「人間は多種多様な情報を… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
受験の先にある出会いの価値、感じた大学生活 モデル・井桁弘恵さん
連載「受験する君へ」 本格的な受験シーズンを迎えました。各界で活躍する方々に、自身の体験談や受験生へのメッセージを聞きました。 なんでもチャレンジするのが好きな子どもでした。バレエやピアノ、習字、水泳、テニスなど、たくさんの習い事をさせてもらっていました。 勉強も好きでした。中学1年の頃から通った塾は、毎週ミニテストがあって、「わからない」を徹底的になくしてくれた。だから苦手科目もなく、通知表は「オール5」でした。 高校は公立の進学校でした。入学すると、勉強のできる人ばかりが集まっていて、授業の進度もすごく速い。「わからない」を一つひとつ消化できなくなって、いったん勉強への意欲が落ちてしまいました。代わりに力を入れたのが、部活や行事。硬式テニス部の部長を務め、運動会の運営幹部もしました。 中3でスカウトされて、すでにモデルの仕事を始めていましたが、数はそう多くなかったので、「仕事をしている」という感覚はありませんでした。当時は普通に大学に行って就職するのかなと、漠然と考えていました。 高2の頃、指定校推薦という制度を知って、日頃の成績を意識し始めました。実力テストは全く太刀打ちできなかったけど、定期テストは言われた範囲をコツコツやれば、ある程度の点数はとれる。部活や行事に積極的だったことも、結果的には役立ちました。 テスト期間中は、学校に残って勉強していました。教室だと眠くなってしまうので、ベランダなどに机を持ち出して、友達としゃべりながら。暗記は苦手でしたが、友達との会話や景色と結びつけて記憶すると、思い出しやすいんです。生物などの難しい用語は、リズムをつけて、声に出しながら覚えました。 早稲田を選んだのは 早大を選んだのは、空気感が… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル