27歳で教師になった。配属は定時制高校。顧問となった陸上部には、5人の生徒がいた。 何かしらの事情を抱えている生徒が多かった。仕事しながら通う生徒、中学に一度も行かなかった生徒……。週1回の部活にも、しぶしぶ参加していた。 しばらく練習を続けると、生徒から「部活動を増やして欲しい」と言われた。前日の自分のタイムを超えるのが楽しくて、仕方がないという。 部活は週5日に増えた。仕事前の早朝にグラウンドに来る生徒もいた。 生徒と言い争ったことがある。 何日も練習をサボっていた生徒がいた。こんな声をかけた。 「自分で陸上を真剣にやるって決めたよね? 自分のための陸上なんだよ」 それは、8年前の恩師の言葉そのものだった。 「走れれば良い」と思った箱根駅伝 鈴木駿(33)は2010年… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ハライチ・澤部さんが語る地元・原市への思い 「何もないのがいい」
昼のバラエティー番組で司会を務めるなど、幅広いメディアで活躍するお笑いコンビ「ハライチ」。この名前が、2人の出身地である埼玉県上尾市の地名「原市」に由来することはあまり知られていない。 人口約2万人の、住宅地が広がる地域。澤部佑さん(37)は「何にもない」というが、じっくり聞いてみた。ハライチは、原市でどう生まれたのか――。 「幼稚園の時から人を笑わせるのが好きだった」という澤部さん。原市小学校5年の時、幼稚園時代からの幼なじみで、のちに相方になる岩井勇気さん(37)と同じクラスになり「お楽しみ会みたいなイベントでコントをやった」。 でも、すぐにコンビを組んだわけではなかった。 原市中学校3年の時、学年の人気者「こくし君」から、「高校卒業したらお笑いやろっか」と誘われた。「岩井も入れたほうがいいんじゃないか」と伝え、3人でやると約束した。ただ、澤部さんと岩井さんは別々の高校に進み、「ほぼ会わなかった」という。 「コンビ名をつけなきゃ」、訪れた運命の瞬間 コンビ名を決めたのは3年生の時だ。卒業前の進路を決めるタイミングで、2人で決めた。こくし君は在学中に、別の道に進むことを決めた。 記事の後半では、コンビ名を考えた時の思いや、ネタ合わせをした思い出の場所などを、写真と共に紹介しています。 芸人養成所を探そうと、2人… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
みえた! 強風のなか初日の出に300人 ピンクに染まる富士山も
東京・渋谷駅前の高層ビル、渋谷スクランブルスクエアの展望施設「渋谷スカイ」で1日、初日の出を見るイベントがあった。 この日は、強風の影響で恒例の神事は中止となったが、屋上は開放され、チケットを購入した約300人が地上約229mの高さから日の出を待ち受けた。東京湾の向こうから太陽が見えると「あ!みえた!」、「きれい!」などと歓声が上がった。 静岡県から訪れた藤島孝太さん(27)は「神事がなくて少し残念だったが、今年もここで初日の出を見られて良かった。すっきりした気持ちで新年を迎えられました」と話した。(柴田悠貴) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル