あかん。あかん。これで最後にしよう。 一人きりのリビングで、缶酎ハイのふたを開ける。罪悪感を消したくて、のどに流し込む。 関西地方の女性(47)にとって、専業主婦の生活は想像以上に孤独だった。 独身時代に勤めた会社をやめて、2002年6月、夫(55)と暮らし始めた。激務で帰れない彼。知らない街。やることがない暮らし。 寂しくて長すぎる1日を、食べて吐き、飲んでやり過ごすしかなかった。 結婚前は、両親と兄の4人家族。長男だからと大切にされた兄と違って、女性にはかわいがってもらった記憶がない。父とは会話すらあまりなかった。母は父の言うことを聞くだけだった。 「私は誰からも愛されない」「人から嫌われている」。そんな思いが消えないまま成長した。 幸せになるために、人生をともに歩むと決めたはず。でも、パートナーとの毎日が思い描いたものにならない人もいます。苦しみの原因は、改善策は。たくさんの「ふたりのかたち」を通して考えます。 高校時代、「やせたら好かれるかも」とダイエットしたのをきっかけに、食べ吐きをやめられなくなった。 大学に入るとコンパで酒を覚えた。人と話すことが苦痛だったけれど、飲んでいれば苦しまずに話ができた。 「背中を天使が通った」出会い 23歳のとき、京都市内のラ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「博士の愛した数式」小川洋子さんが講演 AIの可能性を問われると
「博士の愛した数式」などで知られる兵庫県在住の作家・小川洋子さんの講演会が23日、明石市であった。全国から集まった約280人の参加者の質問に答えながら、文学との出会いや執筆の裏話について話した。 明石市文芸祭の第50回を記念し開かれた。「今は長編を書きあぐねている」「スラスラ書けるということは35年書いてきて一度もない」と、執筆活動についても率直に語った小川さん。文芸作品を創作する人へ、「言葉でしか伝えられない、言葉以外のものを伝える力が言葉にはある。効率や数字を求められる中で、それとは全く無縁の世界に喜びを持てることで、人生がとっても豊かになる」とエールを送った。 文学に対するAIの可能性に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「北の国から」の聖地、布部駅と歩んだ88歳 廃駅で気づけたものは
テレビドラマ「北の国から」の「聖地」となったJR布部駅(北海道富良野市)。移住を決めた黒板五郎と純、蛍の兄妹が降り立った駅だ。初回のシーンから使われ、駅前には「北の国 此処(ここ)に始(はじま)る 倉本聰」の看板が立つ。「それも一つの思い出……」。廃駅を目前に駅前商店の店主坂口道郎さん(88)は駅と歩んできた人生を見つめる。 布部駅の開業は1927(昭和2)年12月、富良野駅と山部駅の間に新設開業した。南東に広がる東京帝国大学(現東京大学)の北海道演習林や、ドラマの舞台となる麓郷(ろくごう)地区の森林資源開発などを目的に誕生した請願駅だ。 木箱に入って戻った父 坂口さんは1936(昭和11)年3月2日、4人きょうだいの長男として生まれた。父は終戦2年前の秋に出征し、ニューギニア戦線で戦死した。劣悪な環境下での病死だった。家業の「坂口商店」は食品やたばこ、化粧品などを扱う雑貨店で、母は父の出征後も店を続け、子どもたちを育てた。 終戦から3年たった1948(昭和23)年秋、父の戦死公報が届いた。母と一緒に布部駅を発ち、富良野か旭川で白い布にくるまれた木箱を受け取った。それを抱えて布部駅に降りると、近所の人たちが国旗玉を黒く塗った日の丸を手に迎えてくれた。 木箱には父の爪や髪の毛が入… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
不明者捜索66日、「必ず連れて帰れ」 隊長が伝えたかったこととは
東日本大震災で津波が襲い、約200人が犠牲になった仙台市若林区の荒浜地区。管轄していた仙台南署の警察官たちは、発生直後から行方が分からなくなった人の捜索を続けた。心身ともに極限状態に置かれるなか、どのような思いが活動を支えたのか。66日間にわたり捜索隊の指揮を執った宮城県警石巻署の手島(てじま)俊明・前署長(60)が、定年退職を前に語った。 仙台南署の交通2課長だった手島さんは2011年3月11日、市中心部にある県警本部にいた。午後2時46分、会議を終えてソファで話をしていたところ、立ち上がれないほどの激しい揺れに見舞われた。 そのころ、宮城県沖地震が近いうちに高い確率で起きると言われており、発生時はどう行動するか、頭の中でシミュレーションを繰り返していた。「ついにその時が来た」と感じた。 車で南に約5キロ離れた署に向かう。建物の被害は思ったよりひどくなかったが、広瀬橋を渡り、地下鉄の長町一丁目駅あたりを過ぎると、道路は陥没してジェットコースターの軌道のように波打っていた。 署にたどり着き、着替えてから4階の災害警備本部に入った。テレビには、名取川河口の井土浜に津波が襲来する映像が映し出されている。川にかかる閖上大橋の上には、取り残されたパトカーと署員の姿があった。「殉職してしまった」。そう思った。 つかめぬ被害状況、「300の遺体発見」との情報も あたりは暗くなり、被害状況… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
記者が潜入した日雇い現場の「悪」 手配師が確認した耳裏の日焼け
ジャーナリストの大谷昭宏さん(78)は読売新聞記者時代、大阪市西成区の釜ケ崎で「潜入取材」をした経験がある。 当時27歳。西成区を担当する南大阪記者クラブに所属していた。 天王寺動物園の中にあり、通称・動物園記者クラブ。記者室は鳥舎近くのボイラー室の2階にあった。 なぜカマ(釜ケ崎)で暴動が繰り返されるのか。日雇い労働者らのうっぷんがなぜたまるのか。 「体で感じてきたらどうや」。原稿を見てもらうデスクから指示され、劣悪な労働環境とピンハネが問題になっていた日雇い労働の現場を取材することにした。 1972年7月10日の早朝、日雇い仕事などをあっせんする西成労働福祉センターを訪れた。 日当1900円 見られた耳裏の日焼け 選んだのは、日当が1900円と、目立って安かった製鉄所での仕事。 「仕事がほしい」と手配師に伝えると、じろじろ見られた。「ここらのもんやないやろ」 チェックされたのは耳の後ろの日焼け。日雇いの仕事を続けていたら耳の裏も黒いが、自分は違う。「訳ありでここに来ました」と言うと、バスに乗ることができた。 車内では名前を書かされたが… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「誰か気づいて止めてくれると」25歳下になりすました女の一問一答
25歳年下の架空の妹の戸籍を作ったとして有印私文書偽造・同行使などの罪に問われている吉野千鶴被告(73)=東京都大田区=が3月、朝日新聞の取材に応じた。事件後、メディアの取材に応じるのは初めてという。 3時間、事件の経緯を語る 吉野被告は、自宅近くの喫茶店にカジュアルな服装で現れた。約3時間にわたり、よどみなく事件の経緯を語った。主なやりとりは次の通り。 ――架空の戸籍を作ったきっかけは。 2021年夏、2年ほど勤めた警備の仕事を辞めて、自宅でぼーっと過ごしていた。ふと、戸籍ってどうやって作るのだろうと思って、スマートフォンで検索し、そこで就籍を知った。 ――なぜ妹の戸籍にしたのか。 子どもの時、妹がほしいと思っていた。中学の頃から40代くらいまで、大阪の実家で祖母の世話をしていた。きょうだいもいなかったので、相談できる妹がいればと考えていた。 昔読んだ小説も影響したかもしれない。戸籍のない男が二つの国で二重生活を送る話だった。最初は「もしかして戸籍ってとれる?」くらいの気持ちだった。 ――架空の妹の「岩田樹亜(じゅあ)」の設定は誰が考えたのか。 自分で考えた。姓は旧姓で、名は樹木が好きなので。誕生日は、15年ほど前に死んだ愛猫「マービー」の命日を選んだ。 ――警視庁によると、夫は「妻は若く見られたいと言っていた」と供述した。 若く見られたいからではない。あまり高齢だと「今までなぜ戸籍を作らなかったのか」と疑問を持たれるし、若すぎれば母親の年齢から考えて不自然。ちょうど良い年齢が45歳だった。 ――どのように手続きをしたのか。 無料の法律相談窓口に電話して、弁護士に妹の戸籍を作りたいと相談した。母親が亡くなったのをきっかけに戸籍を調べたら、妹が無戸籍だとわかったことにした。 ――うそは見破られなかったのか。 弁護士に「次は妹さんが来て下さい」と言われたので、自分が樹亜になりきって行ったが、気づかれなかった。マスクはしていたが、しゃべり方や服装、髪形などは変えなかった。あれ、これでいけてしまうんだ、と思った。それからは姉と妹、それぞれの設定で交互に行った。 ――夫は架空の戸籍を作ろうとしていることを知っていたのか。 夫は同行してくれたが初めは知らなかった。途中から察したようで、「とどまることも考えた方がいいよ」と言われた。でも、ここまで来たらもう戻れない。誰かが気づいて止めてくれるだろうと考えていた。 ――戸籍の可否を判断する裁判所とはどのようなやり取りをしたのか。 「ずっと心臓がバクバクしていた」 この時も姉と妹それぞれの立… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「戸籍作れちゃった」「妹欲しかった」 25歳下になりすました被告
25歳年下の架空の妹の戸籍を作ったとして、有印私文書偽造・同行使などの罪に問われ公判中の吉野千鶴被告(73)=東京都大田区=が3月中旬、朝日新聞の取材に応じた。「誰かが止めてくれるだろうと思ったができてしまった」「若く見られたいわけではなく、妹が欲しかった」と主張した。 2021年夏。工事現場の警備の仕事を辞めたあとだった。ふと、「妹」の戸籍を作ることを思いついた。 子どもの頃、妹が欲しかった。当時は大阪の実家で祖母と2人暮らし。祖母の面倒を1人でみていて、相談相手を欲していたと思い出した。以前、戸籍のない男が二つの国で二重生活を送る小説を読んだことがあった。 スマートフォンで検索した。家庭裁判所で手続きをすれば、作れるかもしれないと思った。就籍という手続きらしい。 猫の命日から設定した誕生日 「妹」の名は「岩田樹亜(じゅあ)」にした。姓は旧姓、名は木が好きだから。年齢は自分より25歳下にした。あまり高齢だと「今までなぜ戸籍を作らなかったのか」と疑問を持たれる。若すぎれば母親の年齢から不自然と思われる。ちょうど良いと思った45歳に設定した。誕生日は死んだ愛猫の命日にした。 弁護士に会い、手続きを相談した。妹が架空と気付かれないよう、「母親の死をきっかけに調べたところ妹の無戸籍がわかった」という設定にした。弁護士から妹を連れてくるよう言われ、妹になりきることにした。 マスクをする程度で、見た目や話し方は特に変えなかったが、弁護士は気づかなかった。「これでいけるのか」。驚いた。自分と妹、それぞれの立場で数回ずつ、交互に弁護士と会った。 夫は付き添いで来た。「とどまることも考えた方が良い」と言われたこともある。だが、「誰かが気づいて止めてくれるだろう」と、手続きはやめなかった。 弁護士を通じて21年11月、就籍に向け「家事審判申立書」を東京家裁に出した。「吉野千鶴」「岩田樹亜」の二つの立場で、家裁に出向いた。 樹亜の生い立ちについて質問された。「学校には行っておらず、スナックで働き、保険証は友人から借りていた」ことにした。近所の教会で牧師からおやつをもらった実体験を、樹亜の思い出として語った。いつばれるかと、心臓がバクバクしていた。 1カ月後、免許試験場で「全部わかっているんだ」 手続きの終盤、弁護士を解任… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
時間がかかりすぎる再審請求 元裁判官「証拠開示に法律の不備」
「日野町事件」では裁判のあり方にも疑問が示されている。裁判官の役割とはなにか。再審をめぐる現状に課題はないのか。有罪率99%の日本の刑事裁判で、裁判官時代に30件以上の無罪判決を出し、上級審で覆させず確定させたことで知られる木谷明弁護士(86)に聞いた。 ――大津地裁の元の裁判では、判決直前に検察の請求で犯行の場所や被害品をあいまいにした訴因変更が問題になりました。 「日野町かその周辺」で殺害し、奪われた金庫の中身もわからない。強盗殺人のような重大事件でこれだけ訴因をぼかすのは異例です。これに沿って有罪判決を書いたのは、非常に問題のある手法だったと思います。 いつ、どこで、何を……具体的に ――どこに問題があるのでしょうか。 訴因というものは具体的でなければなりません。いつ、どこで、何をした。そうした情報がはっきりしていなければ、被告側の防御が難しくなるからです。 例えば無実の人が「何日に犯行をした」と追及された場合、その日のアリバイを立証すれば無罪になります。でも「何日~何日」とされたら、その間のアリバイを全て立証しないといけなくなります。 法律は「できる限り」具体的に、としか言っていませんが、ここまであいまいな訴因にされれば、防御は容易ではありません。 ――訴因変更はどのような時に行われるものなのでしょうか。 審理を経て「このままだと有罪にできないが、訴因を少し変えれば起訴内容と大きく変わらない程度の立証ができる」という時に、検察が自ら判断するのが原則です。 一方でこの事件でも報道があったように、裁判官が促すこともないではありません。 公平な裁判か 検察官が「立証は十分」と思… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
記者15人で取材、元捜査員が明かす日野町事件の心証「あれは…」
「日野町事件」の捜査と裁判に、疑問が浮かんでいる。警察や検察、裁判所の内部で当時、何があったのか。今年2月、記者15人でかつての事件関係者を一斉に取材した。 リストアップした26人の元警察官 事件が起きたのは40年前だ。 「昨年亡くなりました」 「介護が必要な状態で、お話はできない」 家族からそう伝えられることもあった。 本人が在宅していても、「体調が悪い。ご勘弁ください」と断られることもあった。 リストアップした元警察官26人のうち、しっかり向き合えたのは7人だった。 事件記録によると、発生から逮捕までの3年3カ月の間に、県警は2度、阪原弘(ひろむ)・元被告を日野署で取り調べている。 元警察官の話を総合すると、元被告から事情を聴いたのは、いずれも捜査1課の「エース」と評される2人だったという。 2人は正反対のタイプだったという。 「静と動」 「おっとりとしゃきしゃき」 「太陽と北風」 初めて取り調べたのは事件から9カ月後だ。県警の手元にはすでに逮捕状があった。担当したのは「静」の取調官だったが、自白は得られず、逮捕を見送った。 その後、この取調官は捜査の中枢から外れることになったという。 元捜査員の1人「あれは無罪やね」 2年半後、県警は再び元被告… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
繁華街でファッションショー、貴島明日香さんも 「お客さんと近い」
神戸市中央区の繁華街・神戸三宮センター街で23日、ファッションショー「三宮コレクション」があった。多くの買い物客らが行き交う中、個性豊かな服を着飾ったモデルが次々に現れ、約30メートルのランウェーを堂々と歩いた。 センター街などでつくる実行委員会が主催。2010年にはじまり、毎年春と秋に2度開催してきた。実行委員長を務めたセンター街1丁目商店街振興組合の植村一仁副理事長(48)は「この商店街の風物詩になってきた。普段は来ない方が来るきっかけになり、町の違う顔を見せられる」と意義を語った。 ショー冒頭には、神戸市出身で、舞子高校(同市垂水区)を卒業したモデル貴島明日香さん(28)も参加。白と茶の服に身を包み、観客の間近をゆっくりと歩いた。その後のトークショーでは「お客さんとの距離が近かった」と笑顔で話し、センター街でスカウトされた思い出を振り返った。(小川聡仁) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル