A-stories 8がけ社会と大災害(1) 「もう帰ってこないだろう」 石川県珠洲市の建設会社長、山下寿成さん(55)は、やめていった従業員たちを思い浮かべながら、そう語った。 地震が起きて2カ月で、社員は15人から7人に減った。 金沢に2次避難している最若手の30代も退社した。断水が続く中、幼い子どもを連れて避難所生活を送るのは限界として珠洲を離れた。 連載「8がけ社会」 高齢化がさらに進む2040年。社会を支える働き手はますます必要になるのに、現役世代は今の8割になる「8がけ社会」がやってきます。そんな未来を先取りする能登半島での地震は、どんな課題や教訓を示しているのでしょうか。4月14日から配信する8本の記事では8がけ社会と大災害に焦点をあて、災害への備えや復興のあり方を考えます。 社員が半減したが、仕事は山のように増えた。 発災直後から優先してきたのは、道路の復旧だ。道路をふさぐ土砂や住宅を自前の重機で撤去する。亀裂やひび割れは埋めたり補修したりしていく。 市内にはいまも応急手当ての必要な道路が無数にあるが、受けられる仕事には限りがある。震災前は毎日3~4現場をかけ持ちしていたが、いまは二つが限界だ。 「地域の生活道路から田んぼまで整備できるのは地元の建設業者だけ。復旧工事は急がないといけないが、私も従業員も被災者で休みも必要。圧倒的に人手が足りない」 道路の補修や被災した住宅の解体、河川や港湾、農地の修復、災害ごみの運搬……。県や市町、業界団体から地元の建設会社に要請される仕事はひっきりなしだ。 幹線道路の復旧や仮設住宅の設置のために県内外から多くの業者が被災地入りしているが、生活に直結した作業の多くは、地元業者が担うことになる。ただ、それに応じるマンパワーを確保できず、復旧は遅れていく。 建設業の就業者数、15年前と比べると… 急増する仕事に人手が追いつかないのは、震災だけが原因ではない。 国勢調査によれば、この地域の2020年の建設業の就業者数は2804人。それまでの15年間で約2千人も減り、05年の就業者数の「6がけ」(6割)になった。 震災で社員が半減した山下さんの会社も、30年前には60人の社員がいた。近年は毎年のように定年退職が出る一方、募集をかけても若手は入らなかった。4分の1の15人になった震災前の社員も、70代や同業他社の定年退職者をアルバイトで雇うなどして何とか確保した。 そこに震災が追い打ちをかけ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
グリ森事件40年 作家・塩田武士さんが語る「決定的に欠けるもの」
有料記事 聞き手・田添聖史2024年4月14日 14時00分 「かい人21面相」を名乗る犯人グループが食品企業を脅迫した「グリコ・森永事件」の発生から今年で40年となった。事件を題材に小説「罪の声」(講談社)を執筆した作家の塩田武士さん(44)は、未解決に終わった事件の「大きすぎる引力」を感じつつ、「決定的に欠けている」ものがあると断じる。 ◇ 事件が起きたのは5歳になる頃でした。兵庫県尼崎市に住んでいたので、母から「お菓子食べたらあかんで」とよく言われたのを覚えています。 小説の題材にしようと考えたのは大学生のときです。学食のテラスで事件を題材にした1冊を読み、犯人側の音声テープに子どもの声が使われたことを知ったんです。 その声の主は自分と同世代らしい。そう気づいて、鳥肌が立ちました。同じ関西に住んでいて、どこかですれ違っていたかもしれない。もしかすると同じ大学にいるかもしれない。一気に事件が身近に迫り、思わず辺りを見回しました。 同世代なのに、この子は僕と全く違う人生を送ってきたに違いない。この子の人生を書きたいと強く思いました。 グリコ・森永事件 1984年3月、江崎グリコ社長が誘拐され、現金10億円と金塊を要求された。犯人グループは、青酸ソーダ入りの菓子をスーパーなどに置き、森永製菓や丸大食品などの食品企業を次々に脅迫した。85年8月に突如、新聞社などに終結を宣言。2000年2月までに全ての事件の時効が成立した。犯人グループの1人は、その似顔絵から「キツネ目の男」と呼ばれる。 加わった親の視点、感じたいらだちとむなしさ 小説家としての「出力」を身につけようと、新聞記者を10年間やり、計8作品を書きました。そこでやっと、当時の担当編集者から「今なら書ける」とお墨付きをもらい、連載を始めました。事件から30年が過ぎた2015年、36歳のときのことです。 その頃には、2歳の長女がい… この記事は有料記事です。残り1423文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【お得なキャンペーン中】有料記事読み放題!スタンダードコースが今なら2カ月間月額100円!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
愛子さま、めがね取り出し熱心に鑑賞 宮内庁の雅楽演奏会
天皇、皇后両陛下の長女愛子さまは14日、 皇居内の宮内庁楽部を訪れ、春季雅楽演奏会を鑑賞した。楽部が春と秋に開催しているもので、愛子さまは今回で4季連続で出席し、おひとりでの鑑賞は初めて。 演奏会では先に管弦が演奏され、愛子さまは「朗詠東岸(ろうえいとうがん)」など4曲に耳を傾けた。漢詩を管楽器の伴奏で歌う「朗詠」を聴いたのは初めてだったといい、愛子さまは、楽部の東儀博昭・技術指導員に「朗詠というのは難しいのですか」などと質問した。 続いて、舞楽が披露され、東儀氏によると、愛子さまはこれまでの鑑賞経験から、細かな所作の意味合いなどに着目。夫婦となる日に演奏されたとも伝わる「北庭楽(ほくていらく)」など2曲が披露され、愛子さまはめがねをかけて熱心に鑑賞した。終演後、「大変楽しみました」と語ったという。入退場の際には、場内の他の観客らに何度も会釈をしていた。(中田絢子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
逆さの文字も愛らしい…小さな印刷会社が紡ぐ活版印刷、じわりと人気
鉛製の文字がひとつずつ、壁にずらりと敷き詰められている。タテもヨコも数ミリしかないこの文字は、活版印刷で使う活字たちだ。 その数は、ひとつの棚にざっと数万個。その棚が右にも左にも奥にも何枚も連なっているのだから、途方もない数だ。 「夜……、あれ、夜って部首なんやったっかいな」 木枠に振られた漢字を指で左から右へと追いながら、眼鏡をかけた山田善之さん(82)がその一文字を探していく。 「夜、夜、夜、夜……あれ、ないなぁ」 お目当ての活字が見つからないのがまるで楽しいことかのように、にこにこと笑いながら、辞書を開いて部首を確認し始める。あちこちから集めた活字だから、きれいに並んでいるわけではないという。 「銀河鉄道の夜」という6文字を集めるだけで、あっという間に10分が経過した。こうして活字を集めて並べ、印刷するための「版」を作り、インクをつけて紙に刷っていく。 竹やぶかき分け探した活字、夫婦2人で再出発 こぢんまりとした弁当屋や仏… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
橋本龍太郎元首相のいとこの元外交官が語る「辺野古が唯一」の意味
不確実性の増す国際情勢や中国の状況を考えると、沖縄の地理的重要性はますます高まっています。一方、北海道はロシアに、本州の日本海沿岸はロシアや朝鮮半島に、九州は朝鮮半島や中国に、沖縄は中国や台湾に面している。それぞれ重要な地政学的位置を占めており、沖縄だけが日本の安全保障にとって重要な位置を占めているわけではありません。 辺野古移設は、日米間で何度も合意してきた経緯などを踏まえると、普天間飛行場の早期返還という目的達成のためにはやむを得ないと考えます。ただ、「辺野古が唯一の解決策」というのは、できのよくない表現です。「唯一」は最も有力な解決策という意味しか持ちえず、また、唯一の政治的解決策であったとしても、唯一の軍事的解決策ではない。県民の心に届かないばかりか、「唯一」と繰り返すたびに、県民は生傷に塩をすり込まれるような思いをし、その痛みといらだちは強まります。 対話求める玉城知事、具体策見えず 橋本龍太郎元首相と大田昌秀… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
水晶宮、エッフェル塔、リング… 万博を彩る「建築物」の意義とは
大阪・関西万博の開幕まで、あと1年。会場となる夢洲では、建設工事が急ピッチで進む。過去の万博は、最先端の素材を使い、斬新なデザインに挑む、建築の実験場でもあった。今回も多くの試みがあるが、工期やコストなどの課題も残る。 1970年大阪博で提唱 「メタボリズム」建築 歴史的に、万博はユニークな建築に彩られてきた。建築家や技術者たちが、ときに国家と潤沢な資金に支えられ、最新技術を取り込みながら腕を競った。 その起源は初の万博となった1851年のロンドン博、会場の「水晶宮」だ。大きな建物はれんが造りが当たり前だったこの時代に、ガラスと鉄骨でできた長さ約563メートル、幅約124メートル。温室の設計技術の進歩が背景にあった。 89年のパリ博ではエッフェル塔が造られた。312メートルの高さは、当時世界最高の建築物の2倍近かった。93年のシカゴ博では、高さ約80メートルの大型観覧車が登場。いずれも鉄骨構造の技術の発展の産物だった。 20世紀前半からは装飾を減らし、合理性や簡素さを追求する近代建築が流行した。その代表例が1929年バルセロナ博のドイツ館だ(一度は取り壊されたが80年代に復元)。 70年の大阪博では、日本の建築家たちが、環境に合わせて建築も生物のように成長するべきだとする「メタボリズム」を提唱。タカラ館やエキスポタワーなど、追加、交換できるユニットを組み合わせた建築を試みた。また、天井を膜にした米国館は、空気を送り込んで膨らませるドーム建築の先駆けで、東京ドーム(88年開業)などに広がった。 2000年代に入ると、コンピューターによる設計や模擬実験の技術が進歩。曲線やゆがみを強調したデザインが増えた。さらに、建材の環境性能や再利用も注目されるようになった。 いい例が00年ハノーバー博の日本館だ。日本の坂茂(ばんしげる)とドイツのフライ・オットーが設計した建物を支えたのは、紙の管。解体後にリサイクルされた。 大阪・関西博では、女性館を設計する永山祐子が、自身が手がけた21年ドバイ博・日本館の資材を再利用する。 目玉の建築は、1周2キロの大屋根(リング)。デザインを監修する会場プロデューサーの藤本壮介は「多様な世界がつながりあう時代の象徴だ」と言う。ただ、閉幕後の使い道は、決まっていない。=敬称略(西村宏治) 1メートルあたり1720万円の木造リング 再利用は 会場は全長2キロに及ぶ木造の大屋根(リング)がぐるっと取り囲み、その中にパビリオンが並ぶ配置だ。リングは世界最大級の木造建築で、木組み構造の8割が組み上がり、9月中にも完成する見込みという。 会場のデザインを担当したのは、国内外で活躍する建築家、藤本壮介氏(52)だ。トイレや休憩所など20施設は、コンペを勝ち抜いた若手建築家たちがデザインした。 だが、建設に向けた課題も多い。 参加国が自前で建設するパビリオンは、当初は60カ国による計56施設の予定だった。その後、自分たちで建てるのを断念する国も出た。約20カ国は施工業者が決まっていない。 リングの建設費は344億円とされ、1メートルあたり1720万円かかる計算だ。「半年で壊すには高すぎる」との指摘があり、主催する日本国際博覧会協会は移築を含めた再利用を検討中だ。だが具体策は見えていない。 1月には能登半島地震が発生。「復興を進めるため、万博は延期すべきだ」との議論も出た。万博の建築が本当によりよい未来につながるのか、厳しい視線も向けられている。(西村宏治) 記事の後半では、万博の歴史を研究している京都大大学院の佐野真由子教授へのインタビューを掲載しています。 「万博の主役は世界各国」 では主催する意義は エッフェル塔、太陽の塔、パビリオン……。過去の万博では、趣向を凝らした建築物が会場を彩ってきました。なぜ「万博の華」は必要なのか。1年後に迫った大阪・関西万博の会場建設で、日本に求められる役割とは何か。万博の歴史を研究する京都大学大学院の佐野真由子教授(文化政策学)に聞きました。 ◇ 万博の会場に立ち並ぶ各国の… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
豪華屋台「春の高山祭」始まる 桜と競演、からくりの妙技も
江戸時代から受け継がれる絢爛(けんらん)豪華な祭り屋台で知られる「春の高山祭」(山王祭)が14日、岐阜県高山市で始まった。桜が見頃を迎えるなか、11台が屋台蔵から曳(ひ)き出され、国内外から訪れた観光客たちが通りを埋めた。 屋台はすべて国の重要有形民俗文化財。この日午前中から、修理中の1台を除く11台が市中心部に曳き揃(そろ)えられた。 国史跡「高山陣屋」の前では、三番叟(さんばそう)、龍神台(りゅうじんたい)、石橋台(しゃっきょうたい)の3台が屋台の上段でからくりを披露。美女の人形が獅子に変身したり、龍神が紙吹雪を散らしながら舞ったりする妙技に、大きな拍手が送られた。 午後には約300人の祭行列が練り歩く。夕方から夜にかけては「夜祭」が催される。屋台はちょうちんのあかりに包まれる。 祭りは15日までで、高山市は2日間で18万人の人出を見込んでいる。(荻野好弘) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
新宿高校② 映画音楽、テクノ、Jポップ…多彩な才能を育んだ学舎
坂本龍一(故人、1970年卒)は新宿高校1年生の時、音楽教師の野村満男から、東京芸大の作曲科に入った先輩がいるから訪ねてみろと勧められた。初めて作曲したのは幼稚園生の時だったが、高校に入った当時、まだ音楽家になろうとは思っていなかったと述懐している。 その先輩とは、のちに著名な作曲家となる池辺晋一郎(80、63年卒)。新宿高校で初めて、芸大作曲科に進学した卒業生だった。 池辺の自宅を訪ねた坂本は、「何か弾いてみて」と言われ、ピアノを弾いた。坂本は、自身の著書やインタビューで、「池辺さんに『これなら今芸大を受験しても受かるよ』と言われ、『やった!』と思った」と回想している。実際、坂本も芸大に進んだ。 「音楽家の原点は新宿高校に」 一方の池辺は、「割といい曲… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
不合格続きにも「きっと道は開く」 認められた配慮、受験で得た勇気
難病の脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)がある愼允翼(ユニ)さん(27)は小学生のころ、東大受験を描いたドラマ「ドラゴン桜」を見て東大へのあこがれを持ち、目標をかなえた。 重度の身体障害を抱えながらの挑戦は困難の連続だった。 允翼さんは小学生の時には握力が弱まり、鉛筆を持てなくなった。小中学校のテストでは、学校側が配置した介助員に解答を代筆してもらった。試験時間の延長や別室受験も可能だった。 高校受験では、それが認められないという。「前例がない」というのが理由だった。 両親は、複数の学校に掛け合ってみたが、「受験当日に利き腕を骨折した生徒にも時間の延長は認めなかった」「合格した後、対応できる職員の余裕がない」。難色を示されることがほとんどだった。 家族で落胆する日々が続いていた中、筑波大学付属高校(東京都文京区)の対応は違った。 英単語や数式 天井に貼って暗記した 系列の特別支援学校の職員ら… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「一枚の段ボールでも」 避難所での寒さ対策 札幌市はストーブ倍に
地震が起きた時、どう寒さを防げばいいのか。能登半島地震では、寒さにより命を失った人も少なくなかった。警察庁によると、「低体温症・凍死」の死因が32人(1月30日時点)。冬が長く、平均気温が零下となる北海道でも、寒さ対策は深刻な課題だ。 元日、石川県珠洲市の大谷小中学校には約400人が避難していた。道路が通行できず、「孤立状態」で助けは来ない。午後10時には零下となり、気温は下がり続けていった。 避難所の運営に携わる丸山忠次さん(69)は、教室のカーテンやブルーシート、体育の授業などで使うマットなどで、寒さをしのいだと振り返る。避難者が自宅から持ち寄った灯油ストーブや毛布をみんなで使った。「寒さは我慢するしかなかった」。地震の影響で避難所の窓が割れたり、扉が壊れなかったりしたことが救いだった。 一方、愛知県から帰省していた男性(52)は、車中で夜を過ごした。避難所に指定された体育館に行ったものの、段ボールベッドはわずかしかない。マットに横になったが、底冷えを感じた。 「いびきをかくので周りに迷惑をかけてしまう。隣の人と手も当たる状態で、車内の方が気楽だった」と話す。 ラジオで情報収集をする以外は、ガソリンを節約するため、エンジンは切った。自宅から持ってきた毛布をかけ、一夜を過ごした。朝起きると、足が冷たく、痛い。「凍傷になっているかもしれない」。靴を脱ぎ、手で足をほぐすと、少しずつ感覚が戻ってきた。 零下の避難所の可能性も その時どうする? 能登半島地震の取材を通して、記者が北海道内での寒さ対策の現在地を追いました。キッチンカーでの温かい食事の提供を検討をしている自治体もあります。後半では、自分で出来る寒さ対策を識者に聞きました。 翌日からは座席にあぐらをか… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル