大阪都心のまっただ中、梅田の一角は江戸時代から明治にかけての広大な共同墓場だった。このほどの発掘調査で、1500体以上もの埋葬人骨や350点を超える蔵骨器が出土した。国内屈指の商都を支えた名もない庶民の暮らしぶりや苦労が透けて見えてくる。
JR大阪駅に隣接した再開発地区に、「大坂七墓(おおさかななはか)」のひとつ「梅田墓(うめだはか)」はある。近松門左衛門の名作「曽根崎心中」にも登場し、その始まりは江戸初期にさかのぼるという。
大阪市の教育委員会と文化財協会は昨秋から発掘を実施し、梅田墓の東半分にあたる1500平方メートルの姿が明らかになった。
北側区画には複数の大きな穴が掘られ、いくつもの遺体をまとめて埋葬。南側では陶器の甕(かめ)や木棺、丸い木おけなどの穴が密集しつつも整然と並び、それぞれ遺体がおさめられていた。
梅田墓では2016~17年度の調査ですでに200体が見つかっており、協会によると国内でも例をみない規模だという。
前回調査の出土人骨を分析した…
2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル