「午前4時はんセンターでねていたら、すごい雨で水がいになりました」
「へやのなかに水が入ってきました……テレビでニュースを見ていたら、いきなり停電」
「お昼ごはんは、カンパンとぎゅうにゅうとこおりざとう」
20年前の作文が、愛知県立名古屋特別支援学校に残っている。隣にある現在の愛知県青い鳥医療療育センターで暮らしていた、肢体不自由の子どもたちが書いたものだ。
山田元子(53)は、子どもたち34人を担当する保育士だった。=文中の敬称は略します
- 〈沈んだ福祉の街〉
- 名古屋市西区の小田井地区は、1955年に設立された現在の愛知県青い鳥医療療育センターを中心に、障害児や障害者のための施設が集まり、当事者家族も近くに住むようになっていた。ところが、2000年9月11日から12日にかけての「東海豪雨」で、近くを流れる新川の堤防が決壊。自然発生的にできていた「福祉の街」は、泥水に沈んだ。あれから20年。被災した障害者や支援者らのその後をたどった。
あの夜、センターは1・2メートルの水につかった。
「これ、本当なの?」
茶色い水をかきわけ、腰まで水につかりながら出勤した山田は、職場の被害に目を疑った。現実とは思えなかった。
7カ月前の2000年2月に全…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル