手紙でしか予約のできない宿が、岩手沿岸の山奥にある。電話はなく、ネット予約もできない。もとは築160年以上経つ古民家で、25歳になる記者の何倍もの時間を生き抜いてきた。新型コロナウイルスで世の中が様変わりするなか、その一角だけ時が止まっていた。
盛岡駅から北東へ約130キロ。2時間半ほど車を走らせると集落が現れた。岩手県野田村にある「苫屋(とまや)」。引き戸を開けると「いらっしゃい」。オーナーの坂本久美子さん(62)が迎えてくれた。ここで2泊3日、お世話になる。
拡大する「苫屋」を営む坂本充さん(左)と久美子さん=2020年11月2日、岩手県野田村
囲炉裏の間では、パチパチとまきが音を立てる。宿に到着したことをツイッターでつぶやいて、ふと気づいた。ネットは使えないと聞いていたけれど、なぜ?
「いつの間にかね」と向かいで火に当たっていた夫の充さん(61)。携帯大手3社のうち、十数年前に1社がつながり、約2年前に別の社の電波塔が建った。携帯やネットを使える環境にはあるが「僕らには必要ないから」と言い切る。
拡大する囲炉裏の周りは自然と人が集まる。焼いているのは岩手でよく食べられるドンコ=2020年11月1日、岩手県野田村
充さんは人生で一度も携帯電話を持ったことがない。電話が必要なときは宿から600メートルほど先の公衆電話か客の携帯を借りる。ネットは3キロほど離れた木工工房のパソコンを使う。「それで生きてこられたから。不便は感じひんよ」。はんてんに袖を通し、火の前で手をすり合わせた。
予約の便りは全国から届き、1日最大3組を受け入れる。坂本さん夫妻は筆跡から相手の人柄を想像し、第三希望まで書かれた希望日から、客同士のマッチングを考える。「手紙は自分のタイミングで読み、返事を書ける。電話みたいに作業を邪魔されることがないでしょ」と久美子さん。宿からの返信は囲炉裏の煙でいぶされていて、常連になると郵便受けを開けただけで苫屋からの手紙と分かるという。「ネットじゃ香りは送れないものね」といたずらっぽく笑った。
ロンドンで出会った2人はどのように野田村で宿を経営するに至ったのか、後半で探ります。
「苫屋」の営みを手がかりに、withコロナの時代の生き方を探るオンラインイベントを、12月17日(木)午後7時半から開きます。参加無料。申し込みは専用サイト(https://tomaya2020.peatix.com/)から。
最寄りのポストまで約7キロ。…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル