新型コロナウイルスの感染拡大は人々の暮らしを大きく変えました。医療従事者、夜の街で働く人たち、インバウンドが消えたゲストハウス、東京五輪、パラリンピックが延期になった選手、厳しい状況の外国人留学生……。色々な立場の人たちを訪ね、コロナ禍に見舞われた「私たち」の2020年を伝えます。
拡大するマスクを着けて接客する老舗スナック「新橋ピエロ」の舩山孝子ママ(右)=2020年12月7日午後6時40分、東京都港区新橋3丁目、加藤諒撮影
透明なアクリル板を挟んで3人の客が向き合う。マスクを着けた舩山孝子ママ(75)はグラスに氷をカラリと入れ「ツバが飛ぶからカラオケはさせないよ。するなら外に出て行って!」と冗談めかし、語気を強めた。
老舗スナック「新橋ピエロ」は東京・新橋駅烏森口の雑居ビル3階に昭和59(1984)年に開店し、平成、令和と3時代にわたり営業を続けてきた。例年であれば忘年会の予約が立て込む師走だが、今年は「たった3件」だという。
拡大する緊急事態宣言中の5月7日、窓の外を見つめる老舗スナック「新橋ピエロ」の舩山孝子ママ。「家賃の支払いもあるし、お店に呼べない(従業員の)女の子がかわいそう。どういう風にしたら良いか全然わからない」=東京都港区、加藤諒撮影
新型コロナウイルス感染拡大前は1日に20人以上の来店があったが、今は多くて3~4人。客が1人も来ない日もあるという。「『接待を伴う飲食店』という言葉が独り歩きして、オジサンが来てくれないの。いま新橋で飲んでいるのは若い子ばかり」と孝子ママは嘆く。
拡大する緊急事態宣言中の5月21日、休業中の店に週1度訪れ、掃除や換気をするスナック「新橋ピエロ」の舩山孝子ママ。カウンターの奥で常連客のボトルが静かに店の再開を待っていた=東京都港区、加藤諒撮影
開店日からこの店に通う常連客の内藤慎司さん(60)は、「昔はカラオケの大音響が新橋駅のホームまで聞こえるほど盛り上がった」と振り返る。自身も新型コロナウイルスの影響を受けて取引先との会食が激減し、2軒目として利用していたこの店への足が遠のいているという。
店は緊急事態宣言を受け、開店以来初めての休業を余儀なくされた。宣言解除後、店は再開したが、4人いた従業員は呼び戻せないままだ。客足が戻らない中、毎月30万円近い家賃やカラオケのリース料が重くのしかかる。「どうしたらいいか、見当もつかないの……。そんなことばっかり言っているうちに、1年が終わっちゃう」。会計士からは閉店も進言されたという。
拡大する5月21日、掃除と換気のため休業中の店を訪れた老舗スナック「新橋ピエロ」の舩山孝子ママ。「緊急事態宣言中でもお客さんが『密』になってにぎわう居酒屋を見ていると、新型コロナウイルス感染拡大の第2波、第3波がくるんじゃないかと思うの」。貯蓄が残っているうちに店をたたむことも考え始めた時期だった=東京都港区、加藤諒撮影
店はあと4年で40周年の節目を迎える。孝子ママは「その頃には私も80歳。お世話になったお客さんと盛大にパーティーをして、もうお店をたたもうと思っているの。だから、そこまでは頑張りたい」。(加藤諒)
拡大するマスクを着けて接客する老舗スナック「新橋ピエロ」の舩山孝子ママ(右)=2020年12月7日午後6時26分、東京都港区新橋3丁目、加藤諒撮影
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル