1993年7月12日夜、北海道の南西沖で発生した津波は、わずか数分で奥尻島に押し寄せ、奥尻町青苗(あおなえ)地区をのみ込んだ。浅利勇二さん(48)は、父謙二さん(当時67)と義兄(同33)を亡くした。両親が営む自宅兼旅館は、跡形もなく流された。
「ここで引き返せ」。娘や孫と車で旅館へ向かう途中、危険を察知した謙二さんは車をUターンさせると、降りてひとりで旅館に向かい、そのまま戻らなかった。浅利さんは母と避難生活を送りながら、がれきをかき分けて父を捜し続けた。今も行方はわからない。
悲しみを紛らすように、浅利さんはミキサー車の運転手として、島の復旧復興のためがむしゃらに働いた。その後、食品運送会社に転職した函館市で、東日本大震災に遭遇する。津波が家屋を襲う映像をテレビで見た瞬間、18年前の奥尻の記憶がよみがえった。動悸(どうき)がし、息苦しくなった。
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル