観測史上初となる2度目の震度7を記録した熊本地震の「本震」から16日、5年が経った。熊本県内では発生時刻の未明から、遺族やゆかりの人たちが犠牲者を悼み、被害を語り継いでいくことを誓った。
住宅6千棟以上が全半壊した益城(ましき)町では、東無田(ひがしむた)集落の神社に16日夕、住民らが集まり、紙灯籠(とうろう)に明かりをともした。本震が起きた日付「4・16」が夕闇に浮かび上がるなか、集まった人たちが黙禱(もくとう)を捧げた。
集落では、発災直後から支援に入っている広島や長崎などのボランティアとの交流が今も続く。住民らは灯籠に「皆さんの支えで頑張ることができました」「ありがとう」とメッセージを書き込んだ。
本震で集落に住んでいた親族の吉永和子さん(当時82)を亡くした前田直美さん(72)も参加。「多くの方の支援に頭が下がります。地区の皆さんに追悼してもらえ、感謝しかありません」と、目をぬぐった。
地震前まで東海大阿蘇キャンパスがあり、農学部の学生約800人が暮らしていた南阿蘇村の黒川地区。学生3人がアパートの下敷きになるなどして亡くなった。本震発生時刻の午前1時25分、在校生8人が、当時を知る卒業生とともに被災現場で手を合わせた。授業は被災後、熊本市内のキャンパスで行われるようになった。語り部活動をする学内団体の代表で、農学部3年の島田希美さん(20)は「次の世代につなげられるように、メンバーを募っていきたい」。
南阿蘇村では、大学生大和晃(ひかる)さん(当時22)が土砂崩落に巻き込まれて亡くなった。現場近くで、父卓也さん(62)と母忍さん(53)が黙禱した。
本震直後に発電所の貯水槽が壊れ、大量の水と土砂が襲った南阿蘇村の新所(しんしょ)地区では16日朝、区長の山内博史さん(67)が慰霊碑を訪れ、犠牲になった60代の夫婦を悼んだ。山内さんは「ここに人の営みがあったことを子供や孫に伝えたい」と話した。(藤原慎一、東野真和、城戸康秀)
苦しんだ自身の体験を語る
熊本地震の経験や教訓を風化させずに伝えていこうと、熊本県は市町村と連携して「語り部」の養成を始めた。地震の痕跡や被災建築物といった「震災遺構」がある地元では、住民たちが教訓を後世に伝える役割を担っている。ただ、被災資料の収集や保存をめぐっては課題も少なくない。
2本の断層が地表に現れた益城…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル