16年前のJR宝塚線(福知山線)脱線事故で体と心に傷を負った一人息子は、その後、自ら命を絶った。残された母は桜を育て、その花に息子への思いを重ねた歌詞を書いた。歌を耳にした人たちの心に、あの悲しい事故のことが残ってほしいと願って。
ともに「桜の涙」と題する二つの歌。兵庫県宝塚市の岸本早苗さん(77)が作詞した。さらさらと庭先に舞い落ちる桜の花びらに、この世から去った息子の遼太さんの涙を思った。
2005年4月25日。22歳の誕生日を迎えた遼太さんは、京都府内の大学に通うため、事故車両の4両目にいた。けがは首の捻挫だったが、くの字につぶれた2両目を目の当たりにし、2カ月後、パニックを起こした。心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。
うつ病も発症した。遼太さんのブログには、なぜ生き残ったのかと悩む投稿があった。事故から3年5カ月後、自宅で亡くなった。
夫も他界しており、一人残された岸本さんは、兵庫県尼崎市の事故現場に建てられた慰霊碑に、遼太さんの名前を刻むようJR西日本に求め続けた。その願いは今もかなっていない。
2年半ほど前、自宅に1本の桜を植えた。誕生日であり、事故の日でもある4月25日前後にピンクの花をつける遅咲きの桜に、花が好きだった遼太さんの姿を思い、「遼ちゃん桜」と名付けた。ときどき話しかけると、慰められた。
岸本さんは体調を崩し、高齢者施設に一時入った。地元の人たちの協力もあって、桜は昨年10月、自宅隣の公園に移植された。悲しい事故があったこと、苦しんだ息子のことを自分なりに訴えてきた。「もうじっとしていたい」。そんな思いもよぎった。
でも、「ママ、それでいいの?」。遼太さんの声が聞こえた気がした。
合唱の経験がある岸本さん…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル