長崎の被爆者運動を引っ張ってきた草分けの団体、長崎原爆被災者協議会(被災協、長崎市)が、コロナ禍で資金難に直面している。活動費用をまかなってきた土産物店が閉鎖してしまったためだ。被爆者運動はこれまで当事者が担ってきたが、被爆から76年が経って高齢化と組織の弱体化が進み、岐路に立たされている。
真夏日の7月中旬、被災協の田中重光会長(80)は黒のズボンとシャツ姿で長崎市内を歩いて回っていた。被災協の窮状を知って寄付してくれた団体にお礼を伝えるためだ。
被災協は、米国の水爆実験を機に全国で原水爆禁止運動が広がった1956年、原爆投下への国家補償を実現させようと、長崎の被爆者らで結成された。原爆で障害を負った被爆者の雇用の場として、翌57年に土産物店「被爆者の店」を開店。手作りの人形などを販売し、その収益で活動する仕組みを整えた。ピーク時の年間売り上げは1億円を超え、2万人以上の会員が運動に参加した。
運動の柱の一つは、被爆者の援護だ。57年に「原爆医療法」が成立し、被爆者健康手帳があれば健康診断と医療給付を受けられるようになった。その手帳交付の条件が厳しいとして、国会への請願や全国行脚を重ね、対象者の拡大という成果を得た。
もう一つの柱が、核兵器廃絶…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル