村上潤治
名古屋城そばのホテルナゴヤキャッスル(名古屋市西区)の建て替えに伴い、約100年前につくられた赤れんが塀が、今月撤去される。空襲で焼けた城を間近で見た時代の証人でもある。住民は名残を惜しんでいる。
塀は、城の西北隅櫓(せいほくすみやぐら)の西約90メートルにある。高さ約4メートル、全長約40メートル。「イギリス積み」という手法で赤れんがが約50段積んである。
「写真図説 明治・名古屋の顔」(六法出版社)によると、同ホテルの土地にもともと立っていた病院が1913(大正2)年に火災で全焼。再建に合わせて塀がつくられたという。国の重要文化財で22(大正11)年に完成した現在の市政資料館(東区)より古いとみられる。
れんがの歴史に詳しい水野信太郎・北翔大名誉教授(建築史)に塀の写真を見てもらうと、「れんがはよく焼けており、大規模な窯で高温で大量に焼かれた」と推測する。愛知県産れんがが全国に影響を及ぼした時期があり、「市政資料館と同じれんがの系譜を感じる」。
塀を所有する同ホテルは69年の開業。城を望む好立地で、世界の要人らを迎えてきた。建て替えに伴い、運営会社側は塀の保存も検討したが、耐震性などから撤去を決めた。
近くに住む豊田貞男さん(85)は「れんが塀は重厚であり、人を和ませてきた。小さなモニュメントなどで残してほしい」。親族が職人から終戦直後に聞いた話では、一つひとつ紙に包んだれんがを手作業で積み上げたという。
歴史建築の保存・記録に取り組む「明治建築研究会」の柴田正己代表は「関東大震災(1923年)で多くのれんが建築が崩壊した。この塀のように現存しているものは貴重だ」と話している。(村上潤治)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル