77人が亡くなった広島土砂災害の発生から20日で7年を迎え、広島市の被災地では各地で慰霊の催しが開かれた。安佐南区八木3丁目の砂防ダムでは、土石流が相次いだ時間に合わせて「忘れまい 8・20 伝える」の文字が映し出され、遺族らが黙禱(もくとう)を捧げた。
近くの広島県営緑丘住宅の献花式には、住民ら約40人が参列。犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑の前で手を合わせた。
西田一代さん(76)は夫の末男さん(当時63)の名前を見つめ、「空からずっと見守ってね」と語りかけた。新聞配達員だった末男さんは7年前、出勤して約5分後に土砂に襲われたとみられ、約3週間後に自宅から200メートル以上離れた用水路で遺体で発見された。「今でも夫に会いたい」という。先週から降り続く大雨に「嫌でも当時を思い出す。災害でつらい思いをする人が増えないよう、祈るしかありません」と話した。
「俺と同じ失敗はするな。息子にそう言われたような気がした」。広島市安佐北区亀山南の広藤孝子さん(82)は話す。7年前、52人が亡くなった広島市安佐南区八木で一人暮らしをしていた会社員の息子務さん(当時48)を亡くした。
山の斜面に近い一軒家で午前4時ごろ、土砂に襲われたとみられる。土砂から右足だけが出た状態で見つかった。自宅は1階が埋まり、半壊。「2階に避難していれば助かったのに」。広藤さんは悔やむ。
今回の大雨では「すぐに7年前を思い出した」という。玄関に土囊(どのう)を並べ、水が流れ込んでも助かるよう、夜は夫と自宅の2階に「垂直避難」して寝た。深夜に何度も起き、外を確認した。「空振りでも命には代えられない。息子が教えてくれた災害の恐ろしさを痛感した」と話す。
自主防災の取り組みが実を結…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル