飼育員の仕事を始めて間もないころ、来園者からの1通の手紙に涙した。「園に入ってすぐ見えたタヌキの姿に、悲しくなって帰りました」
タヌキは自分が担当していた動物だった。狭く暗いオリに入れられていた様子が、いたたまれなかったのだろう。散歩に連れ出すなど精いっぱい世話をしていたつもりだったが、一目見ただけの客には伝わらない。
以来、中上志保さん(44)は自らに言い聞かせてきた。「自分が世話する動物の生き生きした姿を見せるために、工夫を惜しんじゃいけない」と。
なかがみ・しほ 1977年生まれ。95年、九州女子大学付属高校を卒業し、北九州市の到津遊園(現在の到津の森公園)へ。出産を機に2002年にいったん退職したが、05年に復職。14年からレッサーパンダの担当を続けている。
大小の木材を縦横に組み合わせてつくった居場所は、アスレチック遊具のようだ。もふもふしたレッサーパンダが駆け巡る様子に、来園者は「かわいい」と声を上げずにはいられない。
北九州市立の動物園「到津(いとうづ)の森公園」に4頭いるレッサーパンダの飼育などを担当する。動物の退屈な時間を減らそうと工夫を重ねてきた。野生なら一日中、食べ物を求めて森を移動しているはずだ。えさを木の枝など動物舎のあちこちに隠したり、中身を取り出すのに一工夫いる給餌(きゅうじ)器をつくったり。野生のレッサーパンダのすみかを自分の目で確かめようと、ネパールの山岳にまで足を運んだ。
「どれだけ、この子たちに幸せだと思ってもらえるか。お客様も生き生きした動物の姿を見たいはずです」
高校生の時、飼育員になりたいと電話帳を開き、あいうえお順で最初に目についたのが到津の森の前身、到津遊園だった。電話口の園長は「まずはバイトに来なさい」。ニワトリの世話でもやるのかと思ったら、いきなりペンギンを任された。巨大な象のフンをスコップ一振りで片づける先輩がかっこよく見えた。
就職後はライオンやクマなど大型肉食獣の担当に。10代の女性が任されるのは異例だった。オリから逃がしてしまえば市民の命に関わる。「男性ばかりの職場で、お手並み拝見という感じ。後に続く女性のためにも絶対失敗できないと思いました」
クマなどは先輩飼育員の時と…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル