核兵器の非人道性を明確に位置付け、開発、所有、使用などあらゆる活動を禁じた核兵器禁止条約が2017年7月に国連で採択されて2年が過ぎた。署名・批准は進まず、米国の小型核兵器開発によって使用のハードルが下がりかねない状況だ。新たな被爆地が生まれることを恐れる長崎、広島は強い言葉で政府に批准を迫ったが、見解の分断は深い。いつか核なき世界に、と行動を続けてきた被爆者に残された時間は少ない。秋に予定されるローマ法王の来日は、分断を埋める新たなきっかけを世界にもたらすのか。
「この写真を見て、考えて、感じてください」。9日、安倍晋三首相と面会した被爆者5団体の代表の一人、長崎原爆被災者協議会の田中重光会長(78)は、長崎原爆で黒焦げになった少年の写真が載った冊子を手渡した。「原爆資料館を訪れてくれませんか」とも求めたが反応はなかった。ここ10年、首相の来館はない。
平和祈念式典終了後の面会は恒例行事として定着している。近年、被爆者側が繰り返し求めているのは核兵器禁止条約への署名と批准。だが安倍首相は「保有国と非保有国の橋渡しに務め、粘り強く努力する」との従来の説明に終始している。団体からは「答えがないことに、ならされているようだ」との声も上がる。
安倍首相の式典参列は2007年以来、通算8回目。歴代3位の首相の在籍日数を追うごとに、回数も重ねてきた。その一方で、被爆者団体の代表は16、17年に1人ずつ死去し、今年も3月と7月に亡くなった。もはや活動は「存続できるかどうかの限界線にある」(被爆者)と指摘される。
厚生労働省によると、被爆者健康手帳を持つ被爆者は今年3月末現在で14万5844人。最も多かった1980年度末の37万2264人の4割ほどだ。平均年齢は82・65歳に達した。
被爆者自身も、残された時間が減る一方で、いまだ核廃絶への思いが伝わらないことに焦燥を深めている。この日、千葉から3回目の参列を果たした88歳の男性は「もう最後かもしれない。生きている限り、体験を語り継ぐ」とあらためて誓った。
被爆を実体験として語ることのできる人が少なくなり、「被爆者のいない時代」が迫る。16年に被爆者の呼び掛けで始まった禁止条約への賛同を求める「ヒバクシャ国際署名」には今年4月現在、世界中から941万5千筆以上が寄せられている。
それでも、禁止条約に署名した国・地域は70、批准は25にとどまっているのが現実だ。長崎大核兵器廃絶研究センター(RECNA)は「議会承認に時間がかかる批准はともかく、(賛同の意向を示す)署名はやや伸びが鈍い」と分析。背景には、核保有国からの「圧力がある」と指摘する。
ただ、政府より市民に近いはずの自治体でも、考え方は一様ではない。日米安全保障の一端を担う米軍基地を抱える長崎県佐世保市は、禁止条約について「政府方針に同調する」との立場。ヒバクシャ国際署名には県内の市町長で唯一応じておらず、核軍縮への取り組み姿勢には濃淡がある。
国連で軍縮トップを務める中満泉事務次長は式典前日の8日、市民の行動が国際社会にもたらす力が近年強くなったと感じるとし「若い人たちに分かりやすく、問題意識を持ってもらえるような情報発信が大事だ」と語った。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース