2月1日、首都圏の中学受験はピークを迎える。少子化にもかかわらず、過熱気味の受験競争。その一端を担う進学塾は、子どもたちや親を「能力主義」へと追い立てる権化なのか。
「塾歴社会」に実体はない 石岡学さん(京都大学准教授)
大人も解けないような難問を、子どもが解けるようにすべく進学塾に通わせて、膨大な時間をかけさせる――。日本では1970年代からこんな光景が何世代にもわたり繰り返されてきました。
この元凶は、明治以降の教育制度にあります。学校のカリキュラムを修めるだけでは次のレベルの学校に進めないように設計されており、戦前の旧制中学・高校時代にも受け継がれました。
学校の授業だけでは満足に対応できないうえ、1回の入試結果で合否が決まってしまう。このため、かつては学校の先生たちが「入試対策」を自ら買って出て対応していました。この「対策」を民間が担うようになったのが、塾産業の始まりです。
中学から大学まで通底するこの入学試験観が温存されている背景に、進学塾の存在も大きいといえます。ただ、日本社会は塾で人生が決まる「塾歴社会」なのか、というと、そうではありません。
確かに東大や京大といった有…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル