瀬戸内海の長島に浮かぶ日本初の国立ハンセン病療養所「長島愛生園(あいせいえん)」(岡山県瀬戸内市)で、逃げようとした患者らを収監した「監房」の跡が、ほぼ完全な状態で残っていることがわかった。国の強制隔離政策を象徴する施設の一つで、1970年ごろに埋め立てられた。昨秋、試掘し、カメラを入れたところ、側壁に無数の文字のような跡も確認された。
監房は1930年の開園時に建設された。全長29・1メートル、幅10・1メートル、高さ3・4メートルの鉄筋コンクリートの外壁が覆い、中には4畳半ほどの独房8部屋(監禁室5室、謹慎室3室)が直列で並んでいた。
療養所長にはかつて、逃走しようとした患者らを裁判なしに拘束する「懲戒検束権」が与えられていた。園には46~50年の5年で延べ158人が監房に収監されたとの記録が残る。治療はおろか、入浴、食事、給水も制限され劣悪だったとされる。
懲戒検束権の見直しなどを患者団体が求めた運動もあって53年に廃止され、60年代からは土砂で埋め立てられ始めた。威圧的な建物だとして入所者も埋め立てを望んだという。のり面の最下部から外壁の一部が露出する現在の状況になったのは70年代中ごろ。埋め立て場所の上にはその後、入所者の居住区が造成された。
監房跡の保存を訴えるのは「ハンセン病療養所世界遺産登録推進協議会」。愛生園などの世界遺産登録を目指し、入所者や市民らが18年に設立したNPOだ。
翌19年から測量や地盤調査を始め、昨年11~12月には監禁室と謹慎室があった場所でボーリング調査をした。
協議会は土砂の重みなどの影…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル