日本人初のノーベル賞を受賞した物理学者の故・湯川秀樹博士の胸像が、高知県の小学校にある。除幕式には本人も足を運んだ。戦時中、原爆研究に関わっていた湯川だったが、戦後に核廃絶運動に生涯を捧げるようになったきっかけの一つがこの高知訪問だったとする論文が、このほどまとめられた。
太平洋に面する香南市夜須町の市立夜須小。玄関前の松の木陰に、「湯川秀樹先生像」がたたずむ。生前に建てられた唯一の銅像で、高さ約60センチ。御影石の台座には「わが子らよ 先生のごとく偉大になれ 先生の御来臨を永久に記念して」と彫り込まれている。
湯川像が建てられたのは、戦後間もない1954年。49年にノーベル賞を受賞した湯川の功績をたたえるとともに、地元の子どもたちの科学教育の振興を願い、旧夜須町民や町出身者らが寄付金を出し合った。朝日新聞の54年3月23日付紙面には、夜須小と夜須中の児童・生徒や町民ら千数百人が、湯川を迎えて除幕式を行ったとある。
ロシアのウクライナ侵攻で核の脅威が現実味を帯びています。湯川の胸像から何が読み取れるのでしょうか。記事後半で紹介します。
■厳しい質問攻めに…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル