「復帰祭り? やりません。ふだんと同じ営業をするだけです。うれしさも半分、というところではありませんか」
ちょうど50年前、1972年5月15日付の朝日新聞東京版に、こんなコメントが掲載されている。JR飯田橋駅近くで沖縄料理店「島」(東京都千代田区)を営む故・上地与市さんの言葉だ。
与市さんの次女で、いま店を切り盛りする山本文江さん(73)は、当時の紙面を手につぶやいた。
「この時の父は、どんな思いだったのでしょうね」
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与市さんは1916年、沖縄の離島、宮古島の農家に生まれた。戦前に島を離れ、東京の大学に入学。戦中は東京市役所(現都庁)に勤務した。戦後に退職し、書店を開いた。だが、書店は軌道に乗らず、62年、当時都内では珍しかった沖縄料理店を始めた。
与市さんは厨房(ちゅうぼう)に立つ傍ら、もうひとつの顔があった。閉店後、店内のカウンターに座り、故郷への思いを、字にのせた。
当時の週刊誌に、与市さんの投書が掲載されている。終戦後、沖縄に帰省するため、都庁に渡航申請の用紙を取りに行った時のことを振り返っている。
「中途でわたくしのペンは進まなくなり、両眼からは涙がとめどなく流れ出て、ついに申請用紙をぬらしてしまいました。と同時に全身から怒りがこみ上げてきました」「何故に貴国(米国)の許可が必要でしょうか」
与市さんの思いは、店の隅々に刻まれている。
「ほら、この『島』。肩が張…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル