国内観測史上最大級の1時間雨量187ミリ、死者・行方不明者299人――。40年前の1982年7月23日、集中豪雨は「山に囲まれた街」長崎を襲った。観光客が多く行き交う眼鏡橋も大きな被害を受けた。「この世の地獄だと思った」。当時を知る人は、そう振り返る。
あの日、雨は夕暮れから降り始めた。
「阿波屋金物店」(長崎市古川町)で店番をしていた手塚英太郎さん(73)は、ラジオで野球中継を聞きながら新聞を読んでいた。
手塚さんが働く店は市内中心部を流れ、長崎港につながる中島川から歩いてすぐ。石造りの2連アーチ橋で、日本最古とされる眼鏡橋もほど近い。
午後6時半。店内にいた手塚さんは突然足がぬれて、浸水に気づいた。でも周りは静かで「トイレの水漏れかと思った」。
だが外に出ると、家の前の道路は川のように水が流れていた。急いでシャッターを閉めようとしたが、水圧で閉まりきらない。すき間から水がどんどん入ってきた。
それからはあっという間だった。30分ぐらいの間に店内の水位も増し、一気に胸にまで達した。
「ひっちゃかめっちゃか」
手塚さんの店は鉄筋コンクリート造り。木造の家では心配だと避難してきた隣の一家と一緒に、急いで2階に上がった。
屋上から外を見ると、どこが中島川かわからないほど、一面が茶色の濁流にのみ込まれていた。やかんに車、大量のごみが押し流されていく。「何が起きているのかわからなかった」。電気も水道も止まった。
次第に暗くなり、周辺の状況は分からなくなった。雨の音だけが響いた。この時、中島川流域で約1平方キロが浸水していた。
夜が明ける。外は「ひっちゃかめっちゃか」。路面がめくれ、車がひっくり返り、家財道具が転がっていた。「この世の地獄だった」。川辺には連日、家具や衣類についた泥を流す多くの人の姿があった。
手塚さんも店の商品を一つひとつ手洗いし、道に並べて干した。店の再開までは1カ月ほどかかった。
眼鏡橋も一部が崩壊した。1…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル