1945年の終戦前後に、各地では大量の公文書が焼却された。だがその直前まで、公文書を「疎開」させて空襲被害などから守ろうとする動きも一部にあった。歴史の知られざる1ページをひもとく。
45年8月3日。
いまの官房長官にあたる内閣書記官長が警視総監に極秘で伝えた文書が、国立公文書館に残っている。「今般、内閣保存の貴重公文書及び図書を疎開・格納いたすことと相なり候――」。
天皇の御名御璽(ぎょじ)が入った「御署名原本」と呼ばれる法律などの公布原本70箱をいまの東京都日の出町へ、内閣文庫の図書約1万2千冊をいまの東京都青梅市へ疎開させるという内容だった。警視総監への知らせは、それぞれの疎開先で戦災などの被害を受けぬよう警備してもらいたい、という趣旨だった。
疎開した70箱の目録は見つかっていないが、例えば41年12月8日の宣戦の詔勅も含まれていた可能性がある。
運搬は翌4、5日におこなわれた。
「御署名原本」の疎開先となった民家の蔵は、いまも当時のまま残っている。
日の出町大久野(おおぐの)…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル