列車は北へ北へと進み、ある村の駅で止まった。ホームに降り立つと、駅弁を買い、再び列車に乗り込んだ――。高校生のひとり旅だった。
国鉄・JRに乗った距離が36万キロを超え、「旅の達人」として講演もしてきた広島市の原田浩さん(83)にとって、特に忘れられない旅がある。その旅路は、いまも続いている。
1956年3月、広島駅を出た列車は東へ。東京まで17時間かかった。そこから青森まで。青函連絡船で北海道へ渡り、函館、小樽、札幌、旭川。さらに北へと向かう途中、音威子府駅で列車は止まった。
まだ見ぬ土地にひかれた原田さんは、中学生を卒業したばかりの時からひとり旅を始めた。3度目の北海道への旅で、最北端の稚内をめざしていた。
音威子府駅で買った弁当を車中で広げ、食べ終えた。弁当がらを捨てようと思った時、ふと箸袋にこう書いてあるのが目に入った。
「広島市衛生試験所検定済 信義納」
食品の容器の販売・製造を手がける広島市の会社、信義商会(現・シンギ)がつくっていた箸袋だった。約1400キロ離れた北の地で見た「広島」の文字。「なんでこんなところに」。好奇心がわき上がり、音威子府の名が原田さんの脳裏に刻まれた。
その駅弁を売っていたのは「常盤軒」という地元の店だった。
北の大地で思いがけず目にした「広島」の文字。音威子府とのつながりを深めた原田さんは、あることを思い立ちます。「旅の達人」のもう一つの顔とは――。
列車が音威子府駅に到着する…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル