今年、北九州市に新しい平和資料館がオープンした。デジタル技術を駆使して空襲などを体験できる展示のほか、戦時中の庶民のくらしを伝えることにも力を入れる。戦後77年のいま、なぜ新しい平和資料館が造られたのか。そこには小倉の地だからこその平和への思いがあった。
タンスの上にラジオが置かれ、ラジオから流れているかのように近くのスピーカーから「軍艦行進曲」やミッドウェー海戦についての大本営発表が流れる。部屋の畳の上には、精米用の一升瓶や防火すごろく。窓には爆風対策のため「米」の字の形にテープが張られ、部屋の上部から下がる電球は灯火管制のために布で覆われている。
北九州市小倉北区の中心部・勝山公園一角に今春開館した平和資料館「市平和のまちミュージアム」。「戦時中のくらし体験コーナー」では自由に部屋に上がり、当時の品々に触ることができる。
遠慮がちに畳の上に上がった男の子がつぶやいた。「すげー、昔の人ってこんなんやったんや」
原爆の投下目標だった小倉
太平洋戦争の終戦から77年。なぜ今になって、新たな公立の平和資料館ができたのか。
ミュージアムの建つ勝山公園一帯は、緑にあふれ、市民の憩いの場となっている。80年ほど前は、西日本最大級の兵器工場「小倉陸軍造兵廠(しょう)」だった。
58万3千平方メートルもの広大な敷地で軍用車両、軍刀、銃など様々な兵器や軍用品を造り、大戦末期には女子学生らも動員された。
巨大な軍需工場は米軍の攻撃目標にもなり、1944年6月の空襲時には、官営八幡製鉄所(八幡西区)とともに爆撃された。
そして、原爆の投下目標でもあった。45年8月、広島に続く2発目の原爆の第1目標は長崎ではなく、小倉造兵廠だった。
8月9日朝、原爆「ファット…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル