胎児性水俣病患者の上村智子さん(1977年に21歳で死去)の父で、水俣病第1次訴訟の原告家族らでつくる水俣病互助会会長の上村好男(かみむら・よしお)さんが5日、熊本県水俣市の病院で死去した。88歳だった。
鹿児島県伊佐市出身。53年に水俣市に移り、運送会社で働いた。水俣病が公式確認された56年に生まれた長女・智子さんは目も見えず、歩けなかった。智子さんが母親と入浴している様子を撮った米国の写真家ユージン・スミスの写真は世界に衝撃を与えた。
好男さんは、原因企業チッソの賠償責任を確定させた水俣病第1次訴訟(69~73年)の原告として、「この子の悔しさを知らしめたい」と、智子さんと法廷に向かうなど運動の先頭に立ってきた。近年は体調を崩し、入退院を繰り返していた。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル