聞き手・田中聡子
「生きづらさ」という言葉を目にすることが増えました。教育社会学者の桜井智恵子さんは、この言葉によって「問題の個人化」が起きていると警鐘を鳴らします。どういうことなのか、話を聞きました。
「生きづらさ」は、問題が個人に返ってきてしまう言葉です。その結果、生きづらさの背後にあるものは変わらず続いてしまう。問われるべきは、生きづらくさせている能力主義や自己責任の社会であり、この言葉だけでは、出口がない状態だと感じます。
「生きづらさ」という言葉が爆発的に広がるのは、90年代の「アダルトチルドレン」の頃からです。自分のつらさを表現する言葉として熱いまなざしを向けられます。2000年代の「ニート」の頃までは、社会課題として発信し、社会の構造を問うていく機能がありました。
ところが、10年代からは、個人を「それでいいんだ」と承認し、「居場所」など個別救済をする方向ばかりにこの言葉が使われてゆきます。例えば「不登校の生きづらさ」には「居場所を」とされ、フリースクールなどを用意することで完結してしまっている。「学校をなんとかしよう」ではないんです。
個別救済は必要ですが、「生きづらい」という訴えに触れた人は「生きづらくしているものは何か」を同時に考えなければいけない。
自治体の「子どもオンブズパ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル