根津弥、西晃奈
東日本大震災の教訓をふまえて採り入れられた「最大級」の津波への備えは、「次」の被災を見据えて復旧・復興に取り組んできた被災地の一部地域に、再考を促すことになった。ハード整備は無尽蔵にできず、住民の理解なしに防災・減災は進まない。震災から来年3月11日で12年。被災地が新たに向き合う課題は、日本の沿岸各地が向き合う課題でもある。(根津弥、西晃奈)
「訓練を開始します。高台に避難してください」。11月6日午前、宮城県石巻市立鹿妻(かづま)小学校。大津波警報が出たと想定し、校外に逃げる訓練を初めて行った。
サイレンが鳴ると、防災ずきんをかぶった250人の児童が校庭に整列。教諭の先導で、約800メートル離れた鹿妻山のふもとまで歩いた。6年の日野拳聖(けんせい)さん(11)は震災当時は生まれたばかりで、津波の記憶はない。「映像を見ると怖い。焦らず避難できたらいいなと思う」
宮城・石巻市の学校が忘れてはいけない教訓
同校は海岸線から約1キロにあり、標高2メートル。震災時の浸水は13センチで、住民の避難所になった。震災後の市の想定は1メートル未満で、津波が来ても、3階建て校舎の2階以上に逃げる「垂直避難」で十分と考えてきた。
だが、宮城県が5月に公表し…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル