ビートたけしさんや掛布雅之さんらのものまねで一世を風靡(ふうび)したデビューから約35年。タレントの松村邦洋さん(55)は九死に一生を得ながら、いまもテレビにラジオ、ユーチューブと縦横無尽の活躍を見せている。苦労や困難を重ねることは、「運のポイントカード」をためることなのだという。(安斎耕一)
《新型コロナウイルスが国内で流行してまもなく4年目。松村さんも2020年末に感染して入院した》
松村家の先祖の資料を見ると、子ども4人が腸チフスなどで2年おきぐらいに亡くなって、家が一時絶えているんです。僕は子どもの頃から何不自由なく育ってきたんですけど、江戸時代に猛威を振るった腸チフスみたいな感染症を、まさかいま経験するとは思わなかったですね。
コロナ感染者が増えては対策をして、緩めると増えてまた対策をする繰り返し。だんだん風邪のようになるといいんですけどね。これがまたねえ、感染が落ち着いて、楽しもうと思うと「気が緩んでいる」って言われるし、かといって深刻な顔をしていると「辛気くさいなあ」って思われる。考え方はそれぞれでしょうけど、ピンチはある意味、価値観を変えるいいチャンスじゃないかなあとも思うんですよ。
こういう不自由とか理不尽とかがあってこそ、当たり前にあった幸せがすごくありがたいと気づく。この気持ちが大事だと思います。僕なんかチャンスがきた時に緊張して、チャンスをピンチにしちゃうタイプですけどね。
高校留年が転機
《高校在学中からものまねで人気者。ラジオ番組にも出演した》
高校時代はつらかった。1980年代って全国的に校内暴力などで荒れた時代で、僕みたいな下っ端は暴走族に呼び出されて、ものまねをやらされたりしました。ちょっと理不尽でしたけど、でもね、これも意外にそういうことがあったからこそ、いま夢がかなっているっていうのはなんかありがたいなと思います。
僕、留年して高校2年を2回やりました。1、2年の時の同級生は、僕のものまねにうんざりしてたらしいんです。そんなタイミングで留年して、「客」が入れ替わったんです。それで高校2年の新しいクラスで同じになった一つ下のみんなが「先輩がこうやってものまねをやってくれるのはすごくおもしろい」と言ってくれて。そうするとね、残りの2年間が楽しくなったんですよ。
新しいクラスに溶け込めるかなと不安に思っていたけど、ピンチが大きなチャンスになって。今思うと、留年が転機だったなあ。
留年したことで修学旅行も2…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル