石川県にかつて金沢と奥能登を結ぶ二つの路線があった。その区間を走ったのが急行「能登路」。廃止からまもなく21年になる。今年7月に定年を迎える元運転士が当時を振り返った。
能登路は、1964年に準急でデビュー。金沢を出発し、津幡から七尾線に入り、途中の穴水で分割と連結が行われた。能登線(穴水―蛸島)の珠洲方面と、そのまま七尾線終点の輪島まで両線を走った。
七尾線は戦前の1935年に輪島まで、能登線は戦後の64年に蛸島まで全通した。しかし、能登線は国鉄時代から赤字続きで、87年のJR発足の翌88年に第三セクター「のと鉄道」に転換された。91年には七尾―輪島間も同社へ移った。
その後も赤字は改善されず、2001年に穴水―輪島間が廃止、05年には能登線が全線廃止となり、穴水以北の鉄路が地図から消えた。国鉄民営化後に三セクになった路線での全線廃止は、JR西管内では初めてだった。
能登路の定期列車は2002年3月22日まで走った。車両は国鉄の急行用気動車「キハ28」「キハ58」。七尾機関区には多いときは約100両があり、10両編成の列車もあったという。ヘッドマークは、昨年6月の能登地震で斜面の一部が崩落で話題となった見附島が描かれていた。
「今なら映えスポットになったはず」
能登路の元運転士で、JR西…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル