銅鐸(どうたく)の発祥は九州か――。近畿の弥生文化を特徴づけるこの青銅器の起源をめぐり、議論が動き出しそうな気配だ。大阪で昨秋あったシンポジウムでは、第一線の専門家が活発に意見を交換。銅鐸の成立は近畿だとしても、その前提となる条件は九州にそろっていたとの見解にまとまったかにみえる。
銅鐸は紀元前から弥生時代の終わりにかけて近畿地方を中心に発達した釣り鐘のような器物で、農耕にまつわる祭器ともいう。土中から偶然見つかることが多く、その分布圏は北部九州の銅矛・銅剣文化と対峙(たいじ)したとの説もある。
ただ、その成立や埋納過程には謎が多く、日本考古学上の重要テーマだ。
シンポの主催は、銅鐸の完全な石製鋳型で有名な東奈良遺跡を擁する大阪府茨木市教育委員会。2023年の鋳型発見50周年を前に、「銅鐸から弥生時代社会を見直す」と銘打って昨年11月上旬に開催した。
銅鐸といえば近畿発祥という通説に一石を投じたのが、明治大の石川日出志教授。青銅器文化のルーツはもともと朝鮮半島や大陸にあるが、「近畿に朝鮮系青銅器は希薄で、ここで銅鐸の由来をたどるのは無理がある。むしろ最古の銅鐸の構成要素は北部九州にほぼ出そろっており、それが近畿に波及し飛躍的に発展したのでは」というのだ。
海外文化流入の窓口となった…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル