福岡市の中心部にある商業施設「キャナルシティ博多」。1階の吹き抜けスペースに集まった30人ほどの観客の前に、漫才コンビ「バリカタめんたいZ(ず)」が走りながらやって来た。
68歳の「まり凜(りん)」こと平川景子さんがマッチングアプリを始めるという設定で、相方の「いしづち君」こと岩口元樹さん(48)がテンポよくつっこむ。
「私、結婚サプリやりようとよ」
「いや、アプリね!」
4分弱、勢いのある漫才を披露すると、会場は笑いに包まれた。
まり凜さんが芸人の道に進んだのは2年前、66歳の時だ。きっかけは、一緒に暮らす長女あいさん(36)の存在だった。
あいさんは1986年、妊娠28週で生まれ、体重は780グラム。半年間、未熟児室で生死の境をさまよった。けいれんや知的障害が特徴の難病「結節性硬化症」を患っていた。
まり凜さんは30代と40代で2度離婚。エレベーターを設置する会社で経理の仕事をしながら、あいさんを自宅で介護し、男女計3人の子どもを育ててきた。
「あいちゃん、何やっとんね!」
あいさんが21歳の時のことだ。両肺の同時気胸を起こし、救急車の中で心肺が停止した。
「あいちゃん、何やっとんね!」「はよ戻ってきなさい!」。まり凜さんが大声で呼びかけ続けると、あいさんは5分後に息を吹き返した。
その後も酸素不足による気絶やけいれんを繰り返し、7年間で14回の入退院を繰り返した。
まり凜さんは難しい判断を迫られ、命を預かる重さに押しつぶされそうになった。病院を出ると、白く光る月が浮かんでいる。「私、どうしたらええんやろうね」。そうつぶやいて涙をこぼした夜もあった。
死と隣り合わせで生きるあいさんといることで、今この瞬間を生きているのは当たり前ではないと気づいた。生きているうちに本当にやりたいことをやらないと。茶道や生け花、ダンスなど、打ち込めるものを探したが、ゴスペルのほかは長続きしない。
お笑いの道「こんな幸せなことはない」
生活の慰みは、テレビで見る漫才やコントだった。クスッと笑えば、気持ちが切り替わった。「私もネタをつくり、人を笑わせる仕事がしたい。66歳で芸人始めてもよかろうもん」
2021年春、福岡市にある吉本興業グループの養成所(NSC)に入学。厳しいダメ出しもあったが、ネタをつくる時間は楽しかった。「どうしたら人に笑ってもらえるかが悩みなんて、こんなに幸せなことはない」と思った。
NSCの卒業が近づいたころ。あいさんが酸素ボンベを引きながら一人で劇場に来てくれた。引きこもりがちだったが、自分でタクシーを呼び、乗ってきたという。「舞台に立っているお母さんの漫才を見たかった」。先輩芸人と笑顔で話すあいさんを見て、まり凜さんは思った。「私が漫才を始めた理由の一つは、あいに元気になってもらうためだったんだな」
スタートは遅かったかもしれない。でも、人生の酸いも甘いも味わってきた経験は、ほかの若手にはない強みだ。
「夢はM―1優勝です。この年齢からめざしても、いいんよね?」(椎木慎太郎)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル