ライター・知覧哲郎
鹿児島市の城山のふもとにあった旅館「岩崎谷荘」は、皇族や芸術家らも泊まる昭和の名旅館だった。女将(おかみ)として33年間、宿を切り盛りした永井麗子さん(93)が、市内であったトークイベントで昭和天皇をはじめ間近に接した人たちの思い出を語り、時代の面影を振り返った。29日は昭和の日。
「この宿はもと三階建であつたさうだが、焼けて建て直した(中略)今は豪壮な二階建」
作家・内田百閒(1889~1971)は鉄道紀行「第一阿房列車」で、岩崎谷荘についてこう書いている。
旅館は1930(昭和5)年に永井さんの夫の伯母が創業した。
建物は山林王と称された人の別宅だった。米軍の空襲で焼失し、48年に再建。その後、57年に永井さんの夫が買い受け、永井さんは28歳で女将になった。
百閒が泊まったのは51年7月。「第一阿房列車」は百閒ならではの減らず口も満載だが、旅館については「先年巡幸の砌(みぎり)、陛下のお宿になつた家だと云ふ。大変な事になつたと思ふ」と恐れ入っている。
昭和天皇は百閒が触れた49年を含め、戦前・戦後で計3回泊まった。永井さんは女将就任早々の58年、昭和天皇を迎えた。
昭和天皇を宿に迎えた若い女将。素顔を目にして、思わずある行動をとりました。
天皇陛下に関することは一切…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル