なぜ男の子の成長を祝う端午の節句だけが「こどもの日」の祝日なのか、と疑問に思ったことはありませんか。「こどもの日」が制定された頃の国会の会議録をひもといてみました。
終戦後の1948年、「国民の祝日に関する法律(祝日法)」が制定されました。国会では、年間を通じたすべての祝日について一から議論していました。
5月3日案が先にあったが
こどもの日については、「ベストシーズンに設けたい」として、天文台に問い合わせたところ、「5月3~7日が日本中で気候がよく雨が少ない」とわかり、男の子の成長を祝う「5月5日」の「5」と、女の子の成長を祝う「3月3日」の「3」にちなんで「5月3日」――という案が先にあったそうです。
ところが、5月3日が憲法記念日に決まったため、5日を「こどもの日」とすることに落ち着いた、という経緯があったようです。
会議録には「民間の有志の間で十数年前から、5月5日を児童愛護デーとし、その前後1週間を児童福祉週間、児童愛護週間としてきた」として、当時の厚生省からも推されたと記されています。
母に感謝する日でもあった
祝日法はこどもの日について、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と定めています。
会議録によると、5月第2日曜が国際的に「母の日」だったことからこの日も祝日とする提案もあったようです。
会議録をたどると、こどもの日の制定への目立った反対意見は見当たりませんでした。
「単なる家庭的なものという以上に、もつと社会運動として、子供の人格を認めて、子供のために、子供を本位にした、子供を祝う日にしたい」「新しい日本が子供の人格というものをここに認めて、子供のために祝いをして、子供を正客とした祝い日を定めて、そうして子供に光明を与えたい」など、熱のこもった発言が多数出てきます。(伊木緑)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル