中央省庁の強い権限が、民間企業のあり方をゆがめてきた歴史は古い。
ときは数十年前にさかのぼる。
戦後の日本は、急速な経済の拡大で世界を驚かせた。いわゆる高度経済成長だ。
そのエンジンになったのが、企業間の競争を避け、官主導で産業全体を保護しながら拡大を図る「護送船団方式」だった。
「旗艦」の役割を担った大蔵省の官僚たちは、かつて自らをこう称したとされる。われら富士山、他は並びの山――。
実際、権限は強大だった。
国の予算を考えたり、税金を徴収したりするだけでなく、銀行、証券、保険など金融機関を監督する行政権限を幅広く与えられていた。
採用されるキャリア官僚は、ほとんどが東大法学部卒の「エリート」たち。
金融機関側では、そんな大蔵官僚らに対応する役目を、社内きってのエースたちが担った。
「MOF(モフ)担」。大蔵省の英語名「Ministry of Finance」の頭文字を取り、そう呼ばれた。
ミッションは大蔵省側の情報をつかむことだった。金融機関に対する検査の日程や行政の方針から、官僚の個人的な趣味に至るまで、ありとあらゆる情報を入手するためにMOF担たちが繰り返したのが接待だった。
レストラン、ゴルフ、料亭……。
官僚の側は、強大な権限を背景にしながらそれを享受し、次第に度を越していった。
スカートの女性従業員がテーブルの上に
象徴的だったのが、1990年代後半に社会問題となった、いわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」だ。
店はかつて新宿にあった。個…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル