1945年8月9日、長崎に落とされた一発の原子爆弾が、7万3884人もの命を奪いました(45年末時点)。日常が一瞬で奪われた、あの日から78年。「長崎を最後の被爆地に」との願いを次の世代につなげるための平和祈念式典が今年も開かれます。台風接近のため、屋内開催となりましたが、この日が持つ意味は変わりません。8日から9日にかけての出来事を速報していきます。
11:00
被爆校舎利用した平和祈念館に訪問「自分の目で見たかった」
爆心地の西側約500メートルに位置する長崎市立城山小学校(旧城山国民学校)の隣には、被爆校舎を利用した平和祈念館がある。8日朝から多くの人が訪れ、当時の写真や資料を見入った。東京から訪れた介護職の佐藤翔さん(23)は、「(日本と米国の)核共有の議論がある中、原爆が投下されたら何が起こるのか、自分の目で見たいと思った」。6日には広島にも訪れ、平和記念式典に参列したという。「多くの命が奪われ、後遺症で苦しんでいる人がいることを発信していきたい」
同校では約1500人の児童のうち1400人余りが犠牲になったとされている。同校では9日、平和祈念式と原爆殉難者慰霊式が予定されていたが、台風の接近に伴い中止が決まった。祈念館も終日休館となる。
10:50
韓国人犠牲者の慰霊碑前で献花
長崎原爆資料館近くの韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で、原爆で犠牲になった韓国人を悼み、慰霊祭が営まれた。駐福岡韓国副総領事らが参加。参列者が献花した後、原爆が投下された午前11時2分に合わせ黙禱(もくとう)した。
碑は2021年、在日大韓民国民団などでつくる建立委員会によって建てられた。当時、長崎県内に約7万人の朝鮮半島出身者が住み、数千~1万人が原爆の犠牲になったと記されている。慰霊碑の姜成春(カンソンチュン)管理委員長(65)は「建立までに時間がかかり、犠牲者のみなさんには申し訳なかった」としつつ、「台風の影響も気がかりだったが、今年も無事に慰霊祭ができてほっとしている」と話した。
09:50
平和祈念式典に向け「献水」をくみ取り
9日の長崎原爆の日に開かれる平和祈念式典では、水を求めて亡くなった被爆者を慰霊するため、祭壇に水を捧げる「献水」がある。8日、長崎市の平和公園など市内5カ所で献水用の水をくみ取った。
本来は子どもらが行う予定だったが、台風6号の影響で市職員のみで行った。平和公園の「平和の泉」では長崎市上下水道局の職員2人がひしゃくで水をすくい、おけに収めた。一ノ瀬真理子さん(30)は「原爆で亡くなられた方の慰霊と平和の願いを込めて採水しました」と話した。
09:00
いけばな団体が作品準備、資料館の折り鶴を再利用
長崎原爆資料館(長崎市平野町)で、いけばな団体「草月流長崎県支部」が原爆犠牲者の慰霊と、平和の願いを込めた作品の展示準備をしていた。毎年「長崎原爆の日」に合わせて展示しており、今年で29回目。8日から10日まで展示する。
今年の作品は、しなやかにくねらせた竹の周りに、折り鶴と生け花を入れ込んだ。折り鶴は、原爆資料館に捧げられたものを再利用した。会員の女性は「水を求めて亡くなられた犠牲者の方々の慰霊になるよう、竹で川を、折り鶴で水をイメージしました」と話していた。
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル