命の選別――。
映画や小説といったフィクションの世界ではない。
この日本で、リアルにそんな言葉を聞くことになるとは思ってもいなかった。
2016年7月に相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された(うち19人が死亡)「相模原事件」によって、この「命の選別」という問題が色濃くなり、恐ろしくなったことをよく覚えている。
先日の台風19号の際にも、ホームレスの人たちが避難所への入所を断られ、この言葉がまた話題になっている。
2020年1月に始まる相模原事件の植松聖被告の裁判を前に、6人の専門家と対話を重ね『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』を出版した雨宮処凛さんにその思いを聞いた。
インターネットなどを通じて、ばらまかれる悪意
――雨宮さんは、ハフポストで掲載しているブログで何度もこの相模原事件について言及をしています。そして、今回は書籍を出版。この事件にとてもこだわりがあるように感じられますが、これほどまでにこの事件が雨宮さんの関心を引き寄せる理由はどこにあるのでしょうか。
そう言われてみると、確かに関心が強いかもしれませんね。
本の中でも言及していますが、例えば2008年に起きた秋葉原通り魔事件の加藤智大は、誤解を恐れずに言えば“わかりやすい”と思うんです。加藤自身がネットの掲示板で犯行に至るまでの思いを書き込んでいたり、動機や本人が身を置いていた環境など「人となり」がつかみやすかった。
でも相模原事件の植松被告は、違います。一見ごく普通の若者ですし、悩みや心の叫びのようなものは聞こえてきません。「死刑になりたかった」「誰でも良かった」という自暴自棄になったうえでの事件とも異なります。だから、この事件、そして植松被告には、なんとも言えない不可解さのようなものを感じていると言えるでしょう。
また今回被害に遭われたのが障害のある方たちということで、遺族も名前や顔を出しにくいという状況のなか、社会の中で忘れ去られるスピードがとても早かったとも感じていました。世の中での忘却のされ方も植松被告の望んだ通りにというか、生産性がない人間を抹殺することができる=殺しても忘れられるという図式になってしまっている気がしてなりません。更に言えば、そういった植松被告に社会がそれほど怒っていない印象すら受けるのです。
――今回6人の方と対話をして、雨宮さんの抱えていた植松被告への不可解さは解消されましたか?
本の中で、植松被告と何度か面会をしている、福岡のRKB毎日放送の記者で、現在は東京報道制作部長をしていらっしゃる神戸金史さんとお話ししました。その中で、植松被告はあの事件を起こしたことで「自分は役に立つ側の人間になった」と感じていること、「障害児を育てることに苦しんでいる母親を救いたい」という思いがあったということを聞き、びっくりしました。恐ろしいことにあの事件は彼にとって、「善意」に基づいていることになる訳です。
そして、批評家で元障害者ヘルパーの杉田俊介さんと「べてるの家」の理事・向谷地生良さんが同じ出来事を指摘していたことも驚きでした。その指摘とは、相模原事件が起きたのと同じ年の3月に、マイクロソフトが開発したAI(人工知能)の実験で、インターネットにAIを接続したら勝手に学習して、ユダヤ人のホロコーストを否定したり、ヒトラーを礼賛するような発言をするようになったというニュース。
つまり、植松被告もインターネットなどを通じて世の中に散らばる悪意をフィルタリングすることなく「学習」して、彼自身がその悪意を体現してしまったというか、植松被告がAIやBOTのようなものと近いのではないかとも考えられる指摘です。この視点はこの本を作るまで私の中になかったものなので、とても衝撃でした。
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Source : 国内 – Yahoo!ニュース