「ああ、終わった」
石川県珠洲市の桜田酒造4代目杜氏(とうじ)の桜田博克(ひろよし)さん(52)は、大きな揺れが能登地方を襲った1日、崩れ落ちた店の前で立ち尽くしていた。
同市の漁師町、蛸島町で、全国高校野球選手権大会の第1回大会が開かれた1915(大正4)年から酒造りを始め、酒好きの漁師など地元の人たちを中心に愛され続けてきた。
地震発生時、桜田さんは店の横にある酒蔵にいた。頭上に屋根が崩れ落ちてきたが、蒸した米を冷ます放冷機に支えられ、自力ではい出ることができた。
すぐに両親、妻、娘を連れ外に出たが、帰省していた兄ががれきに埋まったままだった。「にいちゃーん」と呼ぶと「おーい」と返事が返ってきた。
兄を助け出し、家族全員の無事を確認した後、玄関があった場所の前に立った。
杉玉の付いた屋根や貯蔵庫はつぶれ、酒蔵の柱も倒れていた。「今までがんばってきたからもういいよ」。そう妻から声をかけられ、廃業しかないと考えた。
これからどうするか…。避難している近くの小学校で、眠れない夜が続いた。
地震から数日後、ふとSNSを検索してみた。「また桜田酒造の酒がのみたい」「応援支援する」など桜田酒造のファンや取引先からのメッセージが目に飛び込んできた。胸が熱くなった。「やめるわけにはいかんな」
酒蔵に毎日通い、朝から夕方まで片付けを進めた。がれきの中から取引先の名簿やデータ、清酒製造の免許などが見つかった。
同じく被災した珠洲市、輪島市、能登町などにある、酒造組合の仲間からも「あきらめず続けたい」という声が上がった。力を合わせるため、オンラインでの話し合いの場も設けた。
「どういう形で再開できるかまだわからないけど、地元を出ることはなかなか考えられない。できればこの珠洲で酒を造り続けたい」(柴田悠貴)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル