能登半島地震で被災した宗教者は、信者や氏子のために活動している。家族と離れても被災地に残った宮司もいれば、被災者との交流の場を開く司祭もいる。自らも被災者でありながら、ともに祈り、ともに生きる宗教者たちを追った。
石川県輪島市門前町の専徳寺。2月上旬、崩れ落ちたままの本堂を前に、住職の吉岡聡さん(61)が言った。
「いつまでも、うだうだ言っていても仕方がない。何かやらなければ、何も始まらない」
元日は午前中に法要を営み、約40人の門徒とお経をあげた。夕方、庫裏でくつろいでいて、激しい揺れに襲われた。約16メートル四方の本堂は全壊。庫裏や山門も傾いた。
翌朝、門徒が「寺は大丈夫ですか」と訪ねてきた。つぶれた本堂を見て涙し、手を合わせる門徒もいた。
65歳の門徒の女性が、倒れた自宅の下敷きになって亡くなった。火葬ができず、10日以上も遺体安置所に置かれたままだった。棺の前でお経をあげた。悔しさが込み上げてきた。
「地震のわずか5時間前に、お寺で一緒にお経を唱えたばかりだった。いつものようにお寺から出るときの笑顔が思い浮かぶ。こんなところに、たったひとりで……。ごめんよ」
お寺は何のために?
本堂の半地下には納骨堂があり、約500体の遺骨がまつられている。寺をこのままにしておけないが、どの宗派にも属さない単立寺院のため、宗派からの援助はない。被災した高齢の門徒に寄付を頼むわけにもいかない。再建に向け、クラウドファンディングで寄付を募ることにした。
「地震で感じさせられたのは、寺は何のためにあるのか、ということ。これから、どう生きるのか。門徒とともに歩んでいく。それが僧侶の役割だと思う」
同県珠洲市正院町の羽黒神社も、本殿や拝殿が全壊した。神輿(みこし)を保管する倉庫も壊れた。市内でも被害が大きい地区。氏子の多くは家が崩れ、亡くなった人もいる。
宮司の高山哲典さん(58)は、大みそかから徹夜だった。初詣でにぎわう元日、午後になって自宅に戻った。しかし、地震直後の大津波警報で小高い場所に逃げ、その晩に避難所に身を寄せた。
妻や母は、県内のほかの市町へしばらく避難したが、高山さんはひとり残った。
羽黒神社では東日本大震災で被災した宮司が手を差しのべてくれました。記事の後半でカトリックの司祭の活動も紹介します。
「ここから離れれば生活は楽…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル