2016年7月に神奈川県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で入所者ら45人が殺傷された事件で、殺人などの罪で起訴された元職員植松聖被告(29)の裁判員裁判が8日、横浜地裁で始まる。障害のある娘と暮らす和光大学名誉教授の最首悟さん(83)=横浜市旭区=は被告から手紙を受け取り、今も返信をつづり続ける。「人はひとりでは生きていけない」。障害者は不幸を生むと断じる被告に、人の価値を生産性で測る社会に、いつか届いて欲しいと願いながら。
〈お考えは判(わか)りましたが、奥様(おくさま)はどのように考えているのでしょう。聞く必要もありませんが、今も大変な面倒を押しつけていると考えております〉
昨年10月、最首さんのもとに植松被告から封書が届いた。事件から2年がたった18年7月以降、毎月13日に手紙を送ってきたが、返事があったのは1年ぶりだった。検閲済みを示す桜の印が押された便せんにはこうも記されていた。
〈『朱に交われば赤くなる』と云(い)いますから、障害児の家族が悪いのではなく、生活する環境が悪いということです〉
たった10行。名指しさえしていないものの、ダウン症で知的障害のある三女星子さん(43)を念頭に置いていることは明らかだった。自らの就労経験を誇示するかのように、介護の苦労を何も知らないとばかりに批判し、迫っていた。重度障害者と一緒にいると情が移り、正常な判断ができなくなってしまうのだ、と。
昨年12月3日、最首さんは横浜拘置支所(横浜市港南区)の面会室にいた。
「遠いところ、ありがとうございます」
長く伸びた黒髪を後ろで束ねた植松被告は小柄な体を折り曲げ、深く一礼した。緊張と警戒が入り交じった硬い表情を浮かべ、初めて面会した時に感じた弱々しさはみじんもなかった。
1年5カ月ぶりとなる2回目の面会。昨年7月、植松被告は神奈川新聞記者との面会に応じ、裁判で死刑判決が出た際は受け入れざるを得ないとの認識を示していた。最首さんが再び向き合ったのは、初公判の前に生への執着や罪の意識が芽生えているか直接確かめたいとの思いからだった。
「何が言いたいのか分からない」。冒頭、植松被告は最首さんからの手紙の内容をばっさりと切り捨てた。さらに、本人を前に「重度障害者の家族は病んでいる。最首さんもそう」「人は働けなくなったら死ぬべきだ」と一息にまくし立てた。
自身が起こした事件については「社会のために必要だった」。死刑制度の是非にも同様の答えを繰り返し、「殺人や強姦(ごうかん)のような凶悪犯はいらない」と吐き捨てるように言い、こう続けた。「自分はそれに入りたくない」
沈黙を守っていた最首さんが静かな口調で問うた。「あなたが死刑を受け入れたら、凶悪犯であると認めることになるのでは」。押し黙る植松被告。しばらくして「裁判で偉い方が決めたら、仕方ない」。少し目線をそらし、小さくつぶやいた。
30分の面会時間の終わりを告げる電子音が鳴った。
◆相模原障害者施設殺傷事件(やまゆり園事件)
2016年7月26日未明、県立知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺され死亡、職員2人を含む26人が重軽傷を負った。17年2月に殺人罪などで起訴された元職員植松聖被告(29)は「意思疎通できない人は安楽死させるべきだ」などと障害者を差別する発言を続けている。捜査段階の精神鑑定で「自己愛性パーソナリティー障害」と診断され、弁護側請求による起訴後の鑑定でも同様の結果が出た。裁判員裁判の初公判は1月8日に開かれ、3月末までに判決が言い渡される見通し。事件現場の施設は建て替え工事が進み、21年度中に新施設が開設される予定。
Source : 国内 – Yahoo!ニュース