戦国時代に織田信長が攻略した山城として知られる岐阜城について、岐阜市は7日、発掘調査で織田信長が築いたとみられる天守台(天守の土台)の石垣を初めて発見したと発表した。専門家は「信長が築いたとすれば、日本最古の天守台にあたる。日本の城郭の変遷を考えるうえで大きな意義がある」と話している。
信長は1567(永禄10)年、斎藤龍興を攻め落として稲葉山城(現・岐阜城)に入城。地名を岐阜に改めた。
市教委によると、信長入城の2年後に訪れた宣教師ルイス・フロイスが「(山の上に)豪華な座敷があった」と記録。江戸の元禄期に描かれた「稲葉城趾之図」にも天守台などの詳細な石垣の姿が描かれている。
だが、1910(明治43)年に天守が再建された際、石垣を崩して積み直したため、信長期の石垣はほぼ残っていないとされていた。
市教委は昨年10月末、岐阜城のある金華山の山上部約1410平方メートルの発掘調査を始めた。今の天守がある石垣の近くの地面に斜めに刺さっている石に注目。周辺の約5平方メートルを掘ったところ、天守台とみられる石垣が見つかった。石垣は3段あり、長さ約1・8メートル、高さ約70センチ。戦国時代に整地された層のすぐ上にあたるという。
この石垣は、天守の北西の隅にあたり、隅の一番下の石を押さえる石材も1個出土した。石材の合わせ目が奥にあり、隙間に「間詰石」という小石を詰めていることなどから、信長時代の石垣の特徴と一致するという。
稲葉城趾之図では、今回見つか…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル