東京電力福島第一原発事故で全町避難が続いていた福島県双葉町で4日、避難指示の一部が解除される。住民が離散して9年。地元で再開したガソリンスタンドで働く女性は、もう元の町には戻らないかもと思いながらも、「希望」を胸に刻んで町の復興と向き合う。
「いらっしゃいませ」
実家のガソリンスタンド「伊達屋」を手伝う山本敦子さん(48)の明るい声が響いた。伊達屋は第一原発から北西に約3・5キロ、復興工事の大型トラックが行き交う双葉町の国道6号沿いにある。周辺は放射線量が高く、立ち入りが厳しく制限される「帰還困難区域」だ。
明治時代から燃料販売を手がける老舗だったが、原発事故で営業を休止した。ただ、復興工事に必要な事業者に限り営業ができたため、店の除染をして2017年6月に再開した。
拡大する勤務先のガソリンスタンドで伝票の整理をする山本敦子さん=2020年2月21日午前、福島県双葉町、小玉重隆撮影
山本さんは避難先のいわき市の自宅から、車で片道約1時間半をかけて手伝いに通っている。町内では今、建物解体や道路舗装などの復興工事が進む。「トラックがほとんどだけど、この1年でお客さんが非常に増えた」と話す。
第一原発が稼働を始めた1971年に双葉町で生まれた。小学生のころ、町内にある5号機、6号機が稼働した。転校してくる同級生の多くが東電関係者の家族だった。伊達屋にも原発関連の会社の車が給油に来た。「原発があるから受けていた恩恵もあったし、物心ついた時から原発があるのが当たり前だった」と振り返る。だが、原発事故ですべて一変した。家族4人で埼玉県や神奈川県の避難所などを転々とし、3年前にいわき市に落ち着いた。
拡大する「希望」と刻まれた記念碑の前に同級生と集まる山本敦子さん(後列の左から2人目)=昨年11月22日午後0時0分、福島県双葉町長塚、古庄暢撮影
卒業から35年。山本さんは同級生たちと双葉小学校でタイムカプセルを掘り起こします。シャベルのカチンという音。出てきたものは。様子は動画でもご覧になれます。
4日に解除される避難指示の対…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル