3月10日未明に起きた東京大空襲から75年。あの夜、何があったのでしょうか。Q&Aでおさらいします。
いちからわかる!
Q 東京大空襲から10日で75年になるんだね。
A 1945年3月10日の未明、米軍の爆撃機B29の空襲を受け、東京の下町が炎に包まれた。第2次世界大戦中、東京は米軍から100回以上の攻撃を受けたが、この日が最悪の被害となったために「東京大空襲」と呼ばれているんだ。
拡大する焼夷(しょうい)弾を投下する米軍のB29。写真は横浜空襲の際に撮影されたもの=1945年5月29日、米軍撮影
Q 詳しく教えて。
A 爆撃機が上空に何百機も並び、金属の筒にゼリー状にしたガソリンをつめ、屋根に突き刺さると爆発してガソリンに火がつく焼夷(しょうい)弾を落とした。柱や障子、畳など、日本の家は燃えやすいもので出来ている。木造家屋が密集する下町は火の海になった。
Q 被害はどれくらい?
A 死者は10万人ともいわれるが、はっきりとした死者数は分かっていない。東京大空襲・戦災資料センターによると、27万戸が焼かれ、約100万人が家を失った。まさに東京は焼け野原になったんだ。
拡大する【表】東京大空襲と、その後の日本
Q なぜこれだけ被害が広がったんだろう。
A 米軍は、日本との戦争を終わらせるために、都市を焼き尽くそうとしたんだ。米国の公文書をもとに東京大空襲を研究した工藤洋三さんは「米軍は戦意をそぐ作戦に出た」とみる。木造家屋の密集地域を選び、1923年の関東大震災も研究し、どの程度の火災を起こせば手がつけられなくなるのかを計算したという。空襲のあった日に風が強かったことも被害拡大につながったようだ。
Q 犠牲者や遺族は補償を受けたの?
A 戦後、軍人や軍属は国から60兆円の補償を受けたが、空襲被害を受けた一般の人は対象外だった。被害者と遺族らは国に謝罪と賠償を求めて裁判を起こしたが、いずれも最高裁で負けが確定した。空襲被害者を助ける法律の制定を目指す動きもあるが、実現する見通しはたっていない。被害者の高齢化が進み、時間は限られる。(抜井規泰)
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル